【第937回】 合気道の多面性と深淵性

傘寿を越し始めた頃から合気道がわかってきたようだ。合気道をそれまで半世紀以上稽古を続けて来たわけだからそれなりに分かっていると思っていたが、それは見かけの合気道だったのである。所謂、魄の合気道であった。見掛けの合気道、合気道の断片であったということである。
それでは何故、それが合気道の断片だと言えるかと云うと、合気道は敵を投げたり押さえたりする武道というだけではなく、多面性と深淵性を伴うものであることが分かったからである。その合気道の多面性と深淵性を認識したのが傘寿を越してからなのである。

合気道の多面性と深淵性については後で記すが、その内の多面的、他次元的空間を己自身が楽しんでいる事を記す。
私は戦争で東京から福島に疎開し高校まで過ごしたが、小さな町から都会に出たくて東京に出た。東京には7,8年滞在した。この間、合気道の稽古も始め二段を貰った。しかし東京、否、日本にも飽き足らず、海外に出たいと思いヨーロッパに行きドイツに7年ほど滞在する事になる。合気道の生徒や知人、友人、大学、会社のお蔭でドイツ、ヨーロッパがどのような所であるかがある程度わかったところで帰国した。別にそうしようと真剣に考えたわけではないが、成り行きでそうなったというところである。
この成り行きを考えてみると、小さな町から大きな都市東京、日本の中心都市にいることは日本、外国と小さいところから大きなところに移動したという事である。本能的により広い世界を知りたいと思っていたということである。
さて、世界より広い世界はない。日本に帰国すると、当分の間は世界で満足していたが何かまだ消化不良のようでもやもやしていた。そこで合気道の稽古に励み、大先生の教えの『合気神髄』『武産合気』を読んだ。そうすると大先生は、合気道は宇宙との一体化であるとよく言われていた事を思い出した。世界より大きなものがあったわけである。しかし、宇宙は外国と違ってそれまでのように行き来することはできない。合気道の修業を続ければいいということである。合気道は最も広い宇宙という世界にも導いてくれるということである。

合気道はこのように武道的なものだけでなく、それ以外のものを学ぶ、つまり楽しむ事ができるのである。それも他の分野にはないほど多面性と深淵性があるのである。
それでは合気道にはどのような多面性と深淵性があるかを書き出してみる。

<武道的に楽しむ>

<宇宙を楽しむ> <異次元を楽しむ> <人格形成と多面的人格> これだけ多種多様な宇宙や次元を楽しめるという事である。他のものでこれだけ楽しめるものはないだろう。
しかし、これに気づくのも年を取らないと難しいだろう。