【第88回】 幽 界

道場は、日常生活の場である顕界とは次元の違う幽界であり、別世界である。従って、日常生活の延長上で稽古をしても、上達はない。道場に入って稽古するときは、幽界に身を置かなければならない。その為にはまず、仕事や家庭や金や損得等の世俗のこと、さらに時間を忘れることである。忘れるためには、忘れようと思うことと、顕界から幽界に入る儀式をしっかりすること、そして一所懸命に稽古に集中することである。これが幽界への入り口になる。

幽界に入っていくと、筋肉は表層筋から深層筋が働き出し、意識の世界から無意識の世界に入っていき、日常世界とは違った力がでてくるはずである。

人間のこころの働き、こころの領域には、意識と無意識がある。意識は自立した心の働きであり、感知、知覚することができ、意志が入る世界。無意識は、通常は意識されていないこころの世界である。この無意識の世界は深層の世界でもあり、意識の世界よりも桁違いに広大で、膨大なエネルギーがあるといわれる。意識と無意識を氷山とすると、海面に頭を出しているのが意識で、海面下にあるのが無意識にあたるという。

合気道で求めているエネルギー(力と熱と光、波動)は無意識の世界、深層の世界のものである。しかし、ここにあるエネルギーは、意識して取り出して使おうとしても、簡単には取り出せない。

合気道では、幽界での五体のひびきが、宇宙のひびきと同化するとき、このエネルギー(力と熱と光、波動)が生じるといわれる。この宇宙とむすんだ幽界の稽古を、武産合気という。そのため、宇宙世界の一元の本と、人の一元の本を知り、同根の意義を究めなければならず、また宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが肝要であるといわれる。従って幽界は、天や地などの外にあるのではなく、人の中の無意識・深層の世界にあることになる。

体には、意識して動くものと、無意識で動くものがある。立ったり、歩いたり、倒れないように体勢の調節をするのは、ほとんど無意識であるが、これらの動きは自然に逆らっている。横たわっているのが人間にとって自然なわけだから、本来不安定なのである。しかし、これを意識を使って、力んで倒そうとしたのでは、相手の意識(対抗意識)が働くので、ますます相手を強固に安定化してしまい、倒れないし、時として争いを起こすことになってしまう。

相手を倒すには、幽界からの無意識のエネルギー(力と熱と光、波動)を、相手の無意識に働きかけなければならない。そうすれば、相手が意識で倒れまいとしても、無意識の領域で起こっていることを意識で調整するのは難しいので、倒れてしまうのである。例えば、合気で相手の手をくっ付けると、相手はその手を意識では離そうと思っても、なかなか離せなくなるものだ。

相手が「わざ」をかけられて倒れるのは、相手が劣位のエネルギーしかもっていないからである。もしこちらより優位のエネルギーをもっていれば、倒れないことになる。何故ならば、優位のエネルギー(力と熱と光、波動)は劣位のエネルギーをコントロールできるからである。また準位の高いもののエネルギーはより低いものに伝わり、そのレベルを上げていくといわれる。上手な人と稽古をする意味がここにある。

エネルギー(力と熱と光、波動)のレベルをもっと上げるためには、宇宙のひびきと同化して、幽界のエネルギーと知恵を目覚めさせなければならない。合気道はまず「天の浮橋に立たなければならない」ともいわれているが、これは幽界に入らなければ合気道はできないということであろう。