【第486回】
言霊の技
「合気とは言霊の響きによる禊の業をいうのである」とか、「合気道は音感のひびきの中に生れて来る。つまり音のひびきによって技は湧出して来る」といわれているのだから、つまり、合気道の真の技は言霊によって出てくることになる。そこで、言霊についても研究しなければならないだろう。
まず、言霊とはどのようなものであるか、開祖は言霊をどのようなものといわれているのか、を見ることにする。
開祖は言霊を次のようにいわれている:
- 霊も物質も言霊であるし、宇宙の実態も言霊であります
- 業の発兆を導く血潮が言霊なり
- 言霊とは声とは違う。言霊とは腹中に赤い血のたぎる姿をいう
- 結局は、人各々がすべてを持っている、ことだま或いはすべての哲理も胎蔵しているのです。人の動きはすべてことだまの妙用によって動いているのです。自分が実際に自己を眺めれば音感のひびきで判ります。
- 人は言霊の造りなす擬体身魂なり
このことから、言霊は霊(魂)と物質(魄)であり、そして、宇宙万物を生成し、動かしている、人も言霊の妙用によって動いているが、それは音感の響きで感じることができる、ということがわかる。特に、血の流れの中で感じるようであるが、さらに、人は言霊がつくり上げたものである、という。
しかし、言霊を自分の体で感じるのは難しいことである。とはいえ、言霊は存在するわけだし、何か偉大な力があるようなので、何とか言霊を実感したいものだ。
ありがたいことに、開祖は、どうすれば言霊ができるかも伝授されているのである。つまり、「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言霊となる」のである。
天地の縦の呼吸と、横の潮の干満の呼吸に合わせて、心を込め、そして、拍子に合った声で言霊ができる、というのである。これを、開祖は別な言葉で「浮橋に立って、言霊の雄たけびをせよ」といわれている。
合気道の技の相対稽古では、声を出すことはほとんどないので、心と拍子の一致での稽古をできるだろうが、声の一致の稽古はできないだろう。それでは、言霊を実感することも、言霊の妙用もできないことになる。
それなら、声と心と拍子が一致して言霊となる方法を考えればよいだろう。例えば、舟こぎ運動である。大きな声で、心を込めて、拍子に合わせ、声と心と拍子が一体となるようにやるのである。
また、お経や祝詞を唱えるのもよいだろう。さらに、ふだんの技の稽古で、無声ではあるが声を出しているつもりで、心(気持ち)を集中し、拍子に合わせ、無声と心と拍子を一体として技をつかっていくのがよいのではないだろうか。
すぐには効果は出ないだろうが、いつかは結果が出てくるものと、楽しみにしながらやるしかない。
声と心と拍子が一致して、言霊となっているかどうかは、技に表れるはずである。開祖は先述のように「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言霊となり、一つの技となって飛び出すことが肝要」といわれるのである。
さらに、この言霊と肉体が統一して、初めて技が成り立つ、といわれている。言霊は、合気道の真の技には不可欠な稽古要素である。
合気とは、言霊の妙用であるといわれるが、これを簡単に云ってみれば、*言霊によって現象界で何らかの変化が生じる *宇宙万物も、言霊の響きによって生成された *これが言霊の妙用で、それに習うことが合気の道である、といわれるのである。
合気道では宇宙と一体となることによって、空間に満ちている霊的力を自己の中に呼び込むことを実行するのであり、そのためには、言霊の響きを使わなければならないのである。言霊の響きの呼応によって、高いレベルの気を呼び込み、技をつくり、そして、宇宙との一体化の道を進むのである。
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