【第931回】 息陰陽の理と実践
「合気道の思想と技」の『第926回 息陰陽水火』で陰陽水火について記した。お陰で技も大分変ってきた。また、新たな事が分かってきたし、大先生の教えも更に理解できつかえるようになってきたので記すことにする。
まず、大きな変化は技を掛ける手が頑強になったことである。多少の力で掴まれようが、打たれようが耐えられし、くっつけてしまう手になった事である。これまでの一方的に出したり引いたりとつかう手ではなく、出すと引くの陰陽兼ね備えた手になるので強固になるわけである。また、この出す引くは気であるから、ここに魂のひれぶりが生じこれで相手をくっつけ、一体化することになるのである。
また、大先生の息陰陽の教えが更にわかってきたことである。そしてその教えに従って実践できるようになったことである。
その教えの例として、
「地球修理固成は気の仕組みである。息陰陽水火の結びである。そして御名は伊邪那岐、伊邪那美の大神と顕現されて、その実行にうつしたのが合気、どんなことでも出来るようになってくる。」とあるが、この理を解釈する。
- 「地球修理固成は気の仕組みである」を手修理固成とすると、手をつくるのは気の仕組みであり、それは息陰陽水火の結びであるとなる。
つまり、息陰陽水火で気を生じさせ手をつくり上げていかなければならないということになるだろう。
- 「そして御名は伊邪那岐、伊邪那美の大神と顕現されて」は、息陰陽水火は伊邪那岐と伊邪那美の大神の働きであるということである。布斗麻邇御霊の伊邪那岐、伊邪那美の大神の働きは、である。
は伊邪那岐で息を吐きながら、腹中の気を横に拡げる。陽の息づかいと陰の息づかいである。息を吐きながらとは、うの言霊で息を口から吐くことである。
は伊邪那美で、息を吐きながら、腹中の気を萎める。陽の息づかいと陽の息づかいである。
これを伊邪那岐、伊邪那美の息陰陽の結びであると考える。
この息陰陽の感覚は、手先から気を出し続けてこの息づかいをすると陰と陽が実感出来る。
次に、もう一つの大先生の教えを見る。
「合気道は、地の呼吸と天の呼吸を頂いてこのイキによって、つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで・・・技を生み出してゆく。」である。
これを解釈すると陰陽が更に分かりやすくなる。
- 「地の呼吸と天の呼吸を頂いてこのイキによって、つまり陰陽をこしらえ」は、陰陽をこしらえるためには天地を結び、その呼吸で息をつかわなければならないということである。つまり、陰陽の手をつくるためには天地と結ばなければならないということである。天地と結ばずに手を動かして技をつかってもいい技は生まれない。それはやってみれば分かるものである。
- 「つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで・・・技を生み出してゆく。」である。陰陽をこしらえては上記の伊邪那岐、伊邪那美の働きでこしらえた陰陽であるが、問題は「陰陽と陰陽とを組んで」である。
これを次のように解釈し、実践している。
初めの陰陽は伊邪那岐、伊邪那美のである。次の二つ目の陰陽は勿論この伊邪那岐、伊邪那美ではない。伊邪那岐、伊邪那美を繰り返しても技にならないからである。
二つ目の陰陽はである。胸で息をエーで引き、胸中に入った気を横に拡げ、縦に落とすことである。息陰陽である。
この息陰陽と陰陽で技を生み出して以かなければならないのである。
これを「合気道は、陰陽と陰陽とを組んで・・・技を生み出してゆく。」と教えておられるのである。
この陰陽、陰陽の感覚も手先から気を出し続けながら手を進めていくと実感出来る。手を引っ込めたり気を止めれば、その感覚はなくなるから、気も手も常に出し続けなければならないことになる。
この息陰陽の理と実践によって技を生み出し、練っていけばいいと考えている。
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