【第930回】 魂気を出す
魂を探究しているがまだ捉えることは出来てない。しかし、ぼちぼち近づいているようである。頭で手をつかい、腰で手をつかうように心がけて技と身体をつかうようになるとこれまでと違う力が出るようになってきたので、この力は何ものなのかを考えていたところ、これが魂気というものではないかと思った。
何故、魂気かというと大先生は、手が宇宙心身一致の動きとなると魂気が出ると次のように教えて下さっているし、己の身体もそれを自覚するからである。
「合気道は天地の真理を悟り、顕幽神一如、水火の妙体に心身をおいて、天地人合気の魂気すなわち手は宇宙心身一致の動きと化さなければなりません。」(合気神髄P.181)
魂気がどのようなものであるかは実感するほかないが、己の感じでいうと、
腰腹からの身体全体の力であり、息陰陽水火の強力な力である。魄が下になり気が上、表になり生じる力である。これまでも気の力を生じさせつかってきたわけだが、これは意識し、作為的な気であったが、今度の気は意識しなくても無作為で働く気なのである。単独動作ではあるが、その気によって手は円く軌跡を描き、無駄なく美しく動くのである。思うに、この気の動きを左右しているものこそが魂ではないか。つまり、魂に従って動く気を魂気というのではないかと思う次第である。魂は神の働きであるとしているので、神の気、神気ということになる。
次に、それでは魂気が働くためにはどうすればいいのかということになる。
上記の大先生の教えには、この魂気が働いてくれるためにどうしなければならないかが次のように書かれている:
- 天地の真理を悟る:例えば、人の身の内には天地の真理が宿されている。
まずは天と地、天地の生成や営み、人との関係などの摩訶不思議を悟ることである。そして宇宙の営みの法則を見つけ、それで技をつかうことである。
- 顕幽神一如:顕界の次元ではなく、幽界、神界の次元で技と体と心をつかわなければならない。幽界は仏の世界で亡くなった人の次元。例えば、柳生重兵衛や塚原卜伝などの武道の名人、達人や親鸞、釈迦などの宗教の教えの次元と考える。神界は神の世界、神の働く次元である。つまり、顕界で通用するだけでなく、昔の武人や宗教家などの世界、それに神界にも通用する技でなければならないということだと考える。
- 水火の妙体に心身をおかなければならない:まずは宇宙も人体も水火の妙体にあることを自覚しなければならない。人の呼吸も心臓も水火の営みにあるのである。そしてこの水火で体と技をつかうのである。
- 天地人合気:天の気と地の気を己に結ぶ事である。合気道はまずは天の浮橋に立たなければならないが、この事であると体で感じる。
- そして手は宇宙心身一致の動きと化してそこから生まれるのが魂気である。
これらの事はこれまで論文に書いてきたように身につけてきたので気が出るようになったが、何かがまだ不十分のようなのでそれに挑戦している。それは手のつかい方である。
手は宇宙心身一致の動きと化してつかわなければならないが具体的にどうつかうかである。
これまで頭で手をつかう、手は顔の前に置いてつかうとかと書いてきた。これは正しかったがまだ不完全だということである。大先生は「頭の働きは両手にまかす」と言われているのである。まだ手のつかい方が十分でないのである。
「頭の働きは両手にまかす」で技をつかうと、これまでと異質の力が働く。手は無意識で動き、頑強な手になる。「頭の働きは両手にまかす」とは、頭でとやかく考えなくとも手が動くということである。手を動かすのではなく、動くのである。
因みに、つかう頭は、一つは物理的頭、物質的頭である。目に見える頭である。顕界の働きをする。もう一つの頭は精神的な頭で目に見えない頭である。心と言ってもいいだろう。幽界、神界での働きをする。仏や神の教えに則って働こうとする。地上天国建設を目指したり、万有万物の友合、至真至善至美や愛へ向かうこと等である。
頭をつかわずに手が動くようになるには、それ以前にやるべく事をやって身に着けておかねばならないことがある。例えば、これまで探究してきた事である。例えば、次のような事も身につけなければならないと思う。
○布斗麻邇御霊 ○魄を下に魂が上表に ○息陰陽水火 ○腰で手をつか う ○手掌の掌底―小指球を用、母指球を体につかう等などまだまだある。
これらを駆使して手をつかうのである。特に、頭で考えないで手をつかうとこれまでにないような力(気)が出るようになった。天地と結び、水火の営みと共に、強力で粘力がある天地人の、異次元の気が出てくるのである。手は上げなくとも自然と軌跡を描いて動くのである。これまでと違う気である。恐らくこれが魂気ではないかと思うのである。これが魂気なら、魂に更に近づいたことになり、喜びである。
魂を知る前に魂気を知り、魂の気と思われる気が出ると自覚出来るようになったから魂に更に近づいたわけである。
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