【第903回】 第一歩は五体のひびき
前回は真の合気道(武産合気)の次元に入るための開祖の極意の教えを記した。この極意の教えが出来るようになれば真の合気道の領域に入れたことになるわけである。逆に云えば、この極意の教えに従わなければ真の合気道にならず、肉体・物質主体の魄の次元で稽古をすることになる。
前に書いたように、ようやく五体のひびきで技をつかえるようになり、相手とむすび、相手を凝結できるようになった。魄の稽古から魂の次元に変わったということである。これで自分が長年探し求めて合気道になれたと喜んでいる。
しかし、ここまで来るには長い年月がかかった。稽古を始めてから60年、真剣に取り組み稽古を始めてから20年掛かった。どのような取り組みや稽古をしてきたかはこれまで書いてきた論文(約3500編)を見れば分かるだろう。換言すれば、五体のひびきが出るために、これだけの時間を懸け、稽古をしてきたということである。
五体のひびきが出て、つかえるようになるには長い年月を掛けてやるべき事を身につけなければならないという事であるが、一般の稽古人には難しいと考える。そこで今考えているのは、一般の稽古人でも20年もかけずに五体のひびきが出るようにならないかということである。因みに、五体のひびきを重視しているのは、大先生が教えておられるように、真の合気道(武産合気)の第一歩であるからである。また、この体のひびきによるむすびは「元素」であり、すべての技の基であるからである。
五体のひびきが出るように後進・後輩に教えているが中々出ないし、ひびきの感覚が持てないようである。ひびきが出ているかどうかはすぐわかる。打ってきた手や抑えている箇所がむすばずに離れてしまうからである。結んでいれば接点がくっついて離れないのである。
そこで後進・後輩の技づかいや体づかいを観察してみて、これでは五体のひびきは出て来ないと納得したと同時に、容易には出来るものではないということが分かった。
問題は大きく分けて二つになる。一つは体の問題。もう一つは体のつかい方の問題である。特に手自体の問題と手のつかい方である。
まず、手自体の問題である。
- 手が名刀のように伸びきっていない。鈍刀のように折れ上がり縮こまっている。手は鉄棒のように強靱でなければならない。相手とぶつかった場合、接した際はその強靱な手で力(気)を出さなければならない。
名刀、鉄棒のような強靱な手をつくる鍛錬をしなければならない。技の稽古の際、手も強靭になるように注意したり、また、イクムスビの息づかいに合わせて鍛えたり、木剣や鍛錬棒を振ったりすればいいだろう。
- 手が短くも長くもなる。
手が強靭になるためには、手の関節のカスを取り、各関節が独立して働けるようにすることと、その上でその独立した各関節を一本に繋いでつかう事である。
尚、各関節が独立して働ければ、手は短刀、小刀、太刀、大刀としても自在に働くようにする。手は手先から、手首、肘、肩、胸鎖関節まである。これが長い手であり、上記の大刀である。この長い手は左右の手にあるが、これを一緒に一つに働くようにしなければならない。片方だけが働いていて、他方がさぼっていては技にならない。正面打ち一教が好例である。
- 手も三元でつかえるようにする。剛、柔、流でつかえるようにするのである。言うなれば、剛は骨で手をつかい、柔は肉、そして流は気で手をつかうということである。
三元があれば八力も必要になる。動、静、解、疑、強、弱、合、分に働けるようにしなければならない。
次に手のつかい方である。
- 手を重くも軽くもつかえなければならない。重い手とは手先や相手の接点に己の体重が掛かることである。また、軽い手でもなければならない。軽い手とは以前書いたように、水に浮くような手である。この感覚で手をつかうのである。慣れてくると手は空に浮くようになる。この軽い手はひびきを出すために不可欠であると思う。
- ひびきのためにもうひとつ重要な事は、手の魄の側を下になるようにつかうことである。手の魄側は、手(腕)の下側・刃側と内側である。このどちらかの側が下(地)を向くようにするのである。
- 上記のことから、手は上げるのではなく上がるのである。つまり、手は動かすのではなく動くのである。動かすのは魄の力であり、動くのが魂の力であると考える。
五体のひびきのためには手と手のつかい方が大事である。まだまだ大事な事があるだろうが、少なくともここに書いた事ができなければ、残念ながらひびきを出すことはできないだろう。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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