【第875回】 顕幽神界の稽古

合気道では、顕界、幽界、神界の三つの世界があり、この三つの世界で禊ぎの合気道を修業しなければならないという。これを大先生は、「顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界。この三つの世界を建てかえ、立て直しをしなければいけない。」(合気神髄p.138)と言われている。そして、「顕幽神三界を、この植芝は出入りしているのです。禊ぎ技(合気道)は禊ぎそのものです。私の合気道は、八百万神がことごとく協力して和合していく道なのです。」(合気神髄 P.50)と言われている。
そこで今回は、顕幽神界の稽古・修業とはどういうものなのかを研究してみたいと思う。

合気道を稽古している稽古人は、誰でも大なり小なり上達したいと思って稽古をしているはずである。
入門してから当分の間は先生に教わって、先生の真似をし、先生に近づこうと稽古をする。目に見える先生と先生が示す動きや姿勢や技で稽古しているわけである。これが顕幽神界の顕界の稽古である。勿論、先生だけからではなく、先輩や仲間との稽古も顕界の稽古と言う事になる。これは誰でもやっている次元の稽古なので問題はない。

さて、次の幽界の稽古である。この辺から難しくなるが、分かってくるとそう難しい事でないようである。
幽界とは、上記の教えにあるように“仏の世界”である。今度は目に見えない仏の世界、次元で稽古、つまり、禊をするということである。それでは仏の世界とはどういうことかである。仏とは人間が霊になったものである。従って、現世・顕界で見えていた人が、目では見えなくなってしまうのである。しかし、仏になっても、その仏の生前(現世・顕界)の教えが素晴らしければ大いに学ぶことができるし、学ばなければならないこともある。例えば、大先生であり、有川定輝先生である。最近ようやく、亡くなられた先生方や先輩方の教えがやっと解ってきたこともあり、大いに学ばせて貰っている。時には、大先生や有川先生が傍におられて、何だそれはと叱られたり、そんなのは駄目だと注意されたりしているような気持になる。これが幽界の稽古と自覚する。

最後の神界の稽古である。神界とは神の世界である。神の定義にはいろいろあるが、私は宇宙天地の人間が関与できない摩訶不思議な働きとしている。
よって、神界の稽古とは、宇宙、天地、万有万象・物との稽古ということである。人間相手を超えた稽古である。所謂、八百万の神と稽古することである。この神界の稽古の目標は宇宙との一体化であり、宇宙と合することである。そしてこの宇宙と一体化するために、宇宙の営みを形にした合気道の技を身につけているわけである。

因みに、大先生が上記に、「顕幽神三界を、この植芝は出入りしている」と言われているのは、顕界でも幽界でも、また神界でも禊ぎの合気道を修業されていたということ考えている。
また、「この三つの世界を建てかえ、立て直しをしなければいけない」とは、顕幽神の三つの世界を、例えば、魄主体から魂の世界に、より愛に満ちた世界に、より楽天、極楽に近づくように変えていくということだと考える。