【第858回】 いままでの鳥船や振魂の行ではいけない

合気道は技を練って精進する稽古をしているが、なかなか思うように上達しないモノである。道場に通って技をくりかえし々々稽古するものの、ある時点から上達が止まってしまうのである。
その原因は、これまでわかったところでは、魄の稽古から抜け出せないことである。肉体的稽古、つまり、肉体主動、腕力による稽古から、次の次元の稽古に移れないからである。次の次元の稽古とは、息主動、気主動、そして魂主導の稽古である。
肉体的な稽古には限界がある。その限界には二つある。一つは肉体の力自身に限界があるという事と、もう一つは己の肉体はある時点から衰えるということである。
この二つの限界を補うために、一つ目では肉体ではなく、肉体を土台にした上に息や気を主動することである。二つ目に対しては、禊(含む稽古)をして古くなった部位などを活性化することである。

合気道はそれほど多くない技(形)を繰り返し稽古するわけだが、半世紀以上も同じ技を繰り返し稽古しているだけでは、更なる精進は難しいと思うようになった。合気道の形(正面打ち一教、四方投げ等)は引き続き繰り返し稽古をしていかなければならないが、只、無暗に形を繰り返すのではなく、それを土台にして何かを加えなければならないということである。

その何かの第一は「技」を取り入れることであった。形に技を詰め込んでいき、形を技で満たし、形=技にするのである。
技は宇宙の営みを形にしたもので、宇宙の法則に合しているといわれる。一霊四魂三元八力、天火水地、△○□、陰陽十字等などである。
次に、フトマニ古事記で技をつかうようにすることである。技に宇宙の営みの気と言霊が入ってくるはずである。
これで同じ形をつかっても技の中身は違ってくることになる。

しかも、技は更に、日々変わらなければならないと、大先生は次のように教えておられるのである。
「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」(合気神髄 P.101)

初心者の頃、この教えを大先生から何度かお聞きしていたが、この意味は全然分からなかったし、合気道の技がころころ変わってしまうのは困るなと思ったことを覚えている。
当時の自分の鳥船と振魂は一種類で、それでいいと思っていた。
最近は、鳥船と振魂にも色々なやり方、つまり合気道上達の秘訣が無限にあるから、それを研究しなければならないと、日々船漕ぎ運動(鳥船)で試している。例えば、手と足の連動、腰の十字の返し、手先を伸ばし拡げる鍛錬、手首・肘・肩の鍛練、息の鍛練、足の親指の鍛練等々である。また、最初に教わった半身の構えの鳥船だけでなく、正面や一重身の構えの鳥船もやっている。ほぼ日々この鳥船運動のテーマが変わっているし、今後も変わるはずだ。

上記の大先生の「いままでの鳥船や振魂の行ではいけない」の教えには三つの大事な教えがあると思う。一つは、鳥船や振魂の行は大事なので日々やらなければならないということ。二つ目は、日に新しく日に新しく進んで向上していかなければならない。つまり、同じことだけをやっていては駄目だということである。何故、同じことだけを繰り返していては駄目かと云うと、宇宙は日々変わっているからである。三つ目は、鳥船や振魂の行だけではなく、技の行も日に新しく日に新しく進んで向上していかなければならないということである。

これで少しは、技の上達、つまり合気道の上達があると期待しているところである。