【第834回】 気を感得

これまで“気”の研究をし、“気“と格闘してきた。大先生の教えを基に、何とか”気“の正体を掴み、身につけたいと願いながら、試行錯誤しながらやってきた。”気“に関する論文も相当数書いたが、まだまだであった。

だが、お蔭様でようやく、“気“を感得出来たようである。”気“の働きを体と技で自覚できるし、その結果、受けの稽古相手と一体化、相手を浮かしてしまい、ある程度は相手を自由に導き、制することが出来るようになったのである。これまでも相手と一体化して、相手の力を抜き、相手を導き、制することは出来ていたわけだが、これは単にこちらの力が強く、技づかい、体づかいが上手いからだろうと思っており、これが気の働きであるとは思わなかったのである。

これが“気”の働きであり、これが“気”であると思った動機は、稽古相手や他の稽古人に、技づかい、体づかいを教えてもその相手がそれを出来ない事である。私と同じように技と体をつかっているのに一向に上手く出来ないのである。後でも書くが、気を感じ、気の働きが分かり易いのは「片手取り転換法」であるので、これでやってみるのだが、相手が持っている手が密着しないし、体重の重みも感じないのである。故に、魄の力の腕力でやってしまうのである。
そして何故、相手に密着しないのか、相手と一体化できないのかが分かったのである。その原因こそが“気”なのである。出来ない人の手の出し方は、手を肉体的、物理的に只、上げたり動かして掴ませているので、肉体、物質が主導権を取る魄の動き、魄の稽古になるわけである。
これは一般的な稽古法なので仕方がないし、ある時期まではこの魄の稽古で肉体を鍛えなければならないと思う。しかし、ある時期がきたら、気に変えていかなければならない。そうしなければいつまでも魄の稽古に留まってしまうからである。
それではどうすればいいのかという事になる。己の手を“気”で挙げ、“気”で相手に接するのである。つまり、“気”が先行して体が“気”に従うのである。手を上げて掴ませ、そして導き、制するのも“気”が先行し、体がその後、その下に来て、“気“に従って働くのである。”気“の下には体(魄)が土台にとなっているので、”気“は強力なのである。相手がこの”気“に満ちた手を掴んで、上げようとしてもそう簡単には上がらないし、下に落とそうとしても落ちないものである。”気”が出て働けば指一本でも相手を制することも、導くこともできるのである。
そこで分かったことは、”気“は大先生の教えの通り”力の大王“であるということと、魄の力、体の力も大事であるということである。”気“と体は表裏一体の陽と陰であるからである。言ってみれば、体の力は強ければ強いほどいいといいことである。合気道には力(魄の力)は要らないというのは迷信である。勿論、力がない人でも、それ相応の“気”を身につけて、つかえばいい。本格的な武道を目指すのか、健康で長生きするための一般的な稽古をするかによって決めればいいだろう。

“気”を感得できたので、それをつかうことになるわけだが、それが分かり易く、身に付きやすいのは先述の「片手取り転換法」である。“気”で手を上げて相手の手に接し、“気”によって体を入身、そして転換するのである。後述するが、この体の入身を△法や十字でやるので、ここからも“気”が生まれることになる。
そして「片手取り転換法」から「片手取り呼吸投げ」に移る。息を引き乍ら体を気で満たし、両手で円をつくり丸い〇の体にする。体幹が歪んだり、手が折れ曲がったりするのはその部位に“気“が欠けているか、弱いということになるから、そこを”気“でつくろえばいい。そこがつくろうことが出来れば、それは”気“の働きである。”気“が実感でき、感得できるだろう。
最後は、技の収めとなる。技を両手、両足、体の五体で大地に収める。これが□に収めるということになる。この際、強力な“気”が発せられる。残心と言われるのはこの“気”であると考える。

このように「片手取り呼吸投げ」は、△○□の気で出来ているわけだが、他の合気道の技も△○□で出来ているので、この△○□法で合気道の技を練っていっても“気”の鍛練になるわけである。
気を感得出来たので、これからは“気”の錬磨の稽古をしていきたいと思っているところである。