【第832回】 技とは

合気道を精進するために合気道の技を練ってきた。半世紀以上になるわけだが、最近、合気道の技とは何か、どのような技がいい技なのか、いい技になるためにはどうすればいいのか等々の疑問が湧いてきたのである。疑問の中には、これまで研究していたこともあるが、部分的で、非系統的であったと思う。
故に、今後は技を体系的、包括的、そして本質的に捉えていきたいと思う。そのためには、前出しの「技とは?」の疑問を解消していかなければならないはずである。今回はそれに挑戦し、まとめることにする。

先ずは、「合気道の技とは何か」である。これまでもこの事は研究してきたが、私の今の定義は、宇宙の営みを形にしたものが合気道の技であるということである。従って、合気道の技は人がつくるものではなく、天地創造以前からあるものである。この形は気形である。目に見える形ではないのである。
故に、「どのような技がいい技なのか」とは、宇宙の営みと一致した、一体となった技ということになる。宇宙の意志に従った技である。一霊四魂三元八力の一霊(魂)、奇御魂・荒御霊・和御霊・幸御霊、気流・柔・剛の働く技である。また、△○□の技であり、松竹梅の技である。

合気道の技は、相手(敵)を倒すものではない。しかし結果的に敵が倒れなければならない。大先生は晩年に、合気道の修業はこれまでのように相手より強く、一番になるためではなく、宇宙との一体化であると悟られた。その結果、お相撲さんを投げ飛ばしたり、鉄砲の弾を避けるなどの超人的な技を会得されたのである。これこそが真の武の技であると思う。もし、大先生がただ相手よりも強くなろうと稽古を続けておられたら、あのような合気の技はなかったはずである。
この相手(敵)を倒すための稽古をしないで、結果的に敵を倒してしまう事になるというパラドックスである。詳しく言うと、合気道の技は、相手を倒すために技をつかうのではないが、結果として相手が倒れるということである。勿論、合気道で技を掛けて相手が倒れないのは、その技は失敗作であるから、技をつかったならば、相手は倒れなければならないのである。そうでなければ、その合気道の技は武道としての技とは言えない。
合気道の技は倒すのではなく、相手自らが倒れるのである。要は、法則に則った技をつかえば、その結果として、相手が倒れてしまうということであり、わざわざ倒す必要がないということになるわけである。

最後に、いい技になるためにはどうすればいいのかである。前出しの疑問に対する答えも大先生の教えの中にあるが、この疑問にも大先生の教えがある。
開祖が「合気はいつもいう通り、地の呼吸と天の呼吸とを頂いてこのイキによって(略)技を生み出してゆく」と言われている。
技の生み出しは、地の呼吸と天の呼吸とを頂くことからである。アで腹から体中に息(気)を拡げ、そしてオーでその息(気)を腹に収めることである。技をつかう際には、必ずこの地の呼吸と天の呼吸とを頂いている状態になければならないし、武道家として、日常でのすべての場や時間でこの態勢をとらなければならないと思う。この態勢から、間髪を入れずにウーでイザナギ、イザナミの動きが出来るのである。

次に、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。」と言われている。
まずは、いい技を出すためには、天の浮橋に立たなければならない。天にも地にも隔たらないで立つのである。上記の地の呼吸と天の呼吸とを頂くことになる。そしてここから布斗麻邇の御霊の運化で技をつかうのである。この布斗麻邇の御霊の営みの形に合致しなければ、技は必ず崩れるものである。

また、「空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。」と教えておられる。空の気は引力がある。相手をくっつけてしまい、相手を自在に制し、導くことができる。この空の気を真空の気に結ぶのである。相手は浮き上がってくる。これがなければいい技にならないということであり、相手が頑張れば思うように技はつかえないはずである。
そのためには、肩を貫いて手先・手の重さが出る邪魔をしないようにしなければならない。肩が貫けていないと、手先・手の重さが十分に出ないし、真空の気も出ない。更に、手先と腹を結ばなければならない。そのためには、手先と腹が十字になるようにしなければならない。手先に対して腹を十字になるように返すのである。腰腹が硬いと難しいので、腰腹を坐技呼吸法などで柔軟にしなければならない。

更に、「気剛柔流、気△○□を根本として気によって技を生んでいく」のである。技をつかうに際して、気剛柔流で流れるようにやったり、柔や剛でやるのである。
また、技が△○□で出来るようにするのである。△で入身し、○く捌き、□で収めるのである。これをすべての技でやればいい。はじめは手足腰腹をつかって△○□でやればいいが、慣れてくればそれを気でつくって、気でやればいい。

まだまだこの教えは沢山あるが、最後にもう一つ記す。
大先生が監修された『合気技法』では、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)と言われている。
剣の動きで合気道の技をつかえば、いい合気道の技になるということである。正面打ち一教でも。入身投げでも、片手取り・諸手取呼吸法でも剣を持っているつもりで技をつかってみるのである。それまで以上の力が出るし、その技の理合いも分かるはずである。

技について、一度振り返ってみるといいだろう。