【第823回】 天之浮橋の手で

合気道の技の生み出しのためには天之浮橋に立たなければならないと教えられている。そこで技をつかう前、相手と対峙した際に、天にも地にも隔たらない、魄にも魂にも片寄りがないように立つように努めていた。これを大先生は、「これをもって行うのが合気道であり、ます。この合気の技の生み出しは、悉く天之浮橋がもとになっている。」と云われていると思う。
しかし、これはこれで必須であることは感得できるのだが、まだまだ何かが足りないように思われてくるのである。

そこで、何故、不十分なのか、何が不足しているのか、どうすればいいのかを考えてみると、それが分かってきたのである。
まず、これまでの天之浮橋は形だけを追っていただけで、その形だけでは何も新たなものが生まれなかったという事である。大事な事は、天之浮橋に立つだけでなく、そこから何かが生まれるようにしなければならないということである。大先生は、「空気と魂の緒の緒結びによって来たるところの念力の大橋(火と水のむすび、十字にして天之浮橋)によって全大宇宙の真の妙精とむすび合うて、わが身心にくいこみ、くいとめて、人のつとめを果たすのです。(武産合気P.72)と云われているのである。
つまり、天之浮橋によって、「全大宇宙の真の妙精とむすび合うて、わが身心にくいこみ、くいとめなければならない」と云われているのである。
また更に、「魂のひれぶりが出来るのです。表に魂が現われ、魄は裏になる。今迄は魄が表に現われていたが、内的神の働きが体を造化器官として、その上にみそぎを行うのです。これが三千世界一度に開く梅の花ということです。これを合気では魂のひれぶりといい、又法華経の念彼観音力です。」(武産合気P88)と教えておられるのである。
つまり、ここまでが天之浮橋に立つという教えになるわけである。

そこでこれまでのように心体だけが天之浮橋に立つのではなく、体の各部位も天之浮橋に立ち、そして天之浮橋で働き、動くようにしなければならないと考え、やっている。特に、手を上げる、手を前に出す際の手を天之浮橋の手にしている。
天之浮橋の手をつかうと、魂で手が動くようになるようだし、魂が表になり、肉体の手の魄が魂の裏になる事が実感出来る。これまでは手を先に出していたから、手の魄が魂の表になっていたわけである。魂のひれぶりが起こることも体感できるようである。手は自然と動き、上がる下がる魂(自己の魂)に従うし、手先には重さも軽さものり、軽く上がるが全体重が懸かるような重さにもなる。この状態で魂のひれぶりが起きると感得する。
片手取呼吸法でこれを体感しているところである。そしてこの片手取呼吸法で魂のひれぶりが上手く起きるようになれば、他の技(形)でもやっていこうと思う。

表に魂が現われ、魄は裏になる。また、魂のひれぶりを体感し身につけるためには、天之浮橋の手をつかうのがいいと考える。