【第814回】 科学を以て錬磨する

合気は科学である。天の科学である。精神科学の実践を表しているのであるという。(合気神髄P.172)。
何故、今回はこれをテーマに取り上げたかと云うと、後輩達や周りの稽古人達の多くが稽古に行き詰りを感じたり、入門時のような意欲を感じなくなっているように感じるからである。初心者の内は誰でも、稽古が楽しくてしようがないと、嬉々として、投げたり、受けを取って、合気を堪能しているが、段々とその喜びや満足感減退しているように見える。そして、それには原因があると思う。
今回は、その原因を究明し、そしてその解決法を探究し、そしてまた、嬉々として稽古を満喫してくれるようになって欲しいと願うからである。

その原因には幾つかあると思う。例えば、年を取ったせい、家庭的な問題、社会的な制約・束縛の増大等々である。
しかし、私の見る処、もっと大きな原因があると考える。それは合気道の稽古・修業の目標と技の錬磨の方法の消滅と欠如ではないかと思う。つまり、何を目指して稽古をしていけばいいのか、そしてどのような稽古をすればいいのかということを見失ったり、欠如してしまったことである。

合気道の稽古の目標についてはこれまで書いている。要訳すると、小乗の目標と大乗の目標であり、小乗の目標は宇宙との一体化、大乗の目標は地上楽園、宇宙天国建設の生成化育である。勿論、健康法を目的にしている人もいるだろうが、それはそれでいいだろう。
いずれにしても稽古を真から楽しもうと思うなら、明確な目標を持たなければならないと思う。人は上達すること、つまり、己がいい方向に変わることに最大の喜びを感じるものだと思うから、いい方向のための目標が必要になるわけである。

さて、次の原因についてである。これが今回の主題となる。
合気道は技を錬磨して精進していくので、合気道の基本技を繰り返して稽古をしているわけだが、ある程度稽古をすると形を覚え、受け身もそこそこ取れるようになると、そこからどのような稽古をすればいいのかが分からなくなることである。技を練っていかなければならないことは分かっているので、以前同様、投げたり抑えたりはしていくが、これまでのように稽古をすればするほど上達が出来ないことが分かってくるのである。

それでは、どうすれば上達することが出来て、以前のように合気道を楽しめるようになるかということになる。
第一番のお薦めは、合気道の聖典、大先生の教えである『合気神髄』『武産合気』を読むことである。初めは分からないだろうが、何度も何度も読み続けることである。この聖典が分かる程度に、技は進化するはずである。
二つ目は、技を科学して生み出し、つかわなければならないということを自覚して稽古をすることである。
「合気は天の科学である。精神科学の実践を表しているのである。」と大先生は教えておられるのである。科学とは、やるべき事を順序を間違えずにやれば、結果・成果は誰がやろううと同じであるということである。天の科学とは宇宙の精妙でもあり、この宇宙の妙精と一つになって科学すれば技が生まれるのである。これを大先生は、合気は人の本能たる引力によって人を通じて宇宙の妙精と一つになって科学しながら業が生まれてくる」と教えておられる。

宇宙の妙精は天の科学であるから、天の法則でもある。天の科学を持って技を錬磨するとは、まず、天の法則を悟ること。例えば、一霊四魂三元八力、
布斗麻邇の御霊、天の浮橋に立つ等々の大法則があるが、もう少し身近な法則、陰陽、十字、○△□、天地の気と己の気の交流、天地の呼吸と己の呼吸を合す等々ある。これらの法則を科学するわけだが、例えば、陰陽の法則なら、右左の足と手を陰陽につかう事である。右足と右手を陽で使ったら、今度は陰にあった左足と左手を陰から陽につかい、そして陰にあった右の足と手を陽・・と陰陽を規則正しくつかう事である。
十字の法則では、手の平を縦に出したら、今度は横に返し、そして縦に返すのである。この十字の返りがないと力が出ないし、技は効かないはずである。
特に腹の足先に対する十字は大事で、足手の陰陽に合わせてつかえば強力な力が出る。

まだまだ多くの法則があるし、これから見つけていく事になるわけだが、法則を見つけたら、それを他の技(形)でもやってみることである。上手くいけばその法則は正しいし、つかい方も正しいことになる。上手くいかなければどこが不味いのかを反省し、修正、改良していけばいい。新しい、やりつけない技(形)や応用技をやる場合も、法則に則ってやるように心がけなければならない。つまり、自己流にならないことである。相手をどうこうしようと思って技を掛ければ、この宇宙の法則など忘却の彼方にいってしまい、真の稽古にならなくなってしまう。

技は科学を持って錬磨すればいいということである。