【第812回】 今だけでなく、先を見る

世の中が忙しくなると、人は目先に囚われ、そしてすぐに成果を上げようとするようになる。これを効率がいいと、企業や学校でも奨励している。
この影響と傾向は合気道の稽古でも現われているように見える。相対の稽古相手に効くように、倒すように技を掛けている。相手を倒すこと、決める事を目的に技を掛けているわけである。相手に技が掛かれば、満足し、やったと思い、そうでなければ、何とか倒そう、決めようと、理に合わなかったり、論外の事をすることになる。

この問題がどこにあるかというと、今だけを見ていることにあると云えるだろう。
それでは、何故、それがよくないのかということになる。それは、先に繋がらない、又は繋がり難いという事である。このような稽古は、一回、一回が途切れた稽古になり、更なる稽古に繋がらないのである。
相手が倒れるとか技が決まるとは、やるべき事を順序(プロセス)よくやった結果であって、プロセスが重要なのである。極端に言えば、例え、技が完全に極まらなくとも、相手が倒れなくとも、そのプロセスに従っていれば、それでいい。何故ならば、そのプロセスを繰り返すことが上達することになり、その稽古を続ければ必ず上達するからである。

技をつかう、つまり、技を練るためにはプロセスが大事な訳だが、正しいプロセスを有するためには、目指すモノがなければならない。どのような技をつかおうとしているかという目標と姿等である。
その目標に向かって、プロセスを辿り、また、修正したり変更、追加しながら技をつかっていくことになるわけであるが、これは今だけではなく、先を見る稽古ということになる。

先を見るの先には、近い先と遠い先がある。従って、見るべきモノは今だけではなく、近い先とそして遠い先を見なければならない事になる。例えば、近い先としては、技を覚える、体をつくる、力をつける、体を柔軟にする等で、遠い先としては、気の育成、気の錬磨、魂の学び等である。更に、近い先としては、宇宙との一体化であり、遠い先としては、地上天国建設への生成化育等であろう。今の技づかいが、これらの先を見ているかが大事なのである。

しかし又、先を見るためには、今をしっかり見る必要もある。今をしっかり見ることによって、先が見えてくるはずである。
これを云いかえれば、今だけを見るのではなく、先を見なければならないが、先を見るために、今もしっかり見なければならないということである。