【第808回】 真空の気と、空の気を性と技とに結び合う

以前から、技を生み出すためには、真空の気と、空の気を性と技とに結び合わせねばならないという事を考えていたが、最近、分かった事があるので、それを書いておくことにする。合気道で分かるということは、それを技で表せるという事になり、また、その理合いの説明がつくことであるとする。

はじめに、真空の気と空の気である。まず、真空の気であるが、大先生は、「真空の気は宇宙に充満しています。これは宇宙の万物を生み出す根源であります」と言われておられることから、
真空の気とは、宇宙に充満した、宇宙の万物を生み出す根源の生命エネルギーと考える。何もないところから日月星辰や生物・無生物や技を生み出すものが真空の気であり、それが宇宙や空間や周囲に充満しているということである。
空の気を大先生は、「空の気は物であります。それがあるから五体は崩れず保っております。空の気は重い力を持っております。また本体は物の気で働きます。」と言われているから、空の気は、物に宿っている生命エネルギーということになるだろう。目に見え、形の有る物には空の気があり、その気がその物(本体)を崩れさせず、そして働かせるのである。
また、空の気は「引力を与える縄であります」とあるが、確かに、この空の気が強靭であれば、体は重くなり、体も崩れず、強靭であるし、相手をくっつけてしまう引力も強くなる。

さて、空の気を養成し、駆使している最高のものは相撲であろう。出来れば、合気道家も力士のように空の気を養成し、強靭な体をつくり、重い力、強力な引力を生み出すようにしたらいいと考えている。難しいだろうが、それは絶対不可能ではないと思う。大先生は力士の天竜さんよりもこの空の気も強靱であったことを思い起こせばいい。

相撲は、この空の気の世界であるが、合気道の求める真空の気の世界ではないと思う。それは相撲の勝負を見れば分かる。
合気道は、この空の気から真空の気の次元に変わらなければならないのである。これを、空の気を解脱して真空の気に結ばなければならないといわれているのである。また、空の気を解脱するためには、心を自由にする、つまり、空の気を忘れてしまい、空の気に引きずられないことである。

空の気を解脱し、真空の気に結ぶことは、それほど難しいことではないと思う。まず、真空の気に結ぶのだが、「真空の気は宇宙に充満している」わけだし、また、「弓を気一杯に引っ張れば、真空の気が五体一杯に入ってくる」わけだから、それほど難しくないだろう。
只、心の持ちようが問題であるようだ。

真空の気と空の気はこれぐらいにし、本題「真空の気と、空の気を性と技とに結び合う」に入る。
空の気を解脱し、真空の気に結び、さらに性と技に結べば技が生まれるということである。性とは、生まれつきの性質・性格であるから、ここでは個人々、人間性と思えばいいだろう。また、技の技とは宇宙の営みの形、条理・法則である技であろう。そして生まれる技の技は、多種多様な人間性と宇宙の法則から生まれる技ということになるだろう。演武会や鍛錬稽古で出てくる合気道の技は人によってみんな違っており、どれ一つ同じものがないのは、この性が同じでないからということになろう。
考えてみると音楽にも同じことが言えるだろう。音楽には、楽譜という決まり(法則)があるが、演奏は演奏家や指揮者によって違う。同じ曲名を何度聞いても飽きないのは、これが理由だろう。

このテーマは、以前から考えてはいたが、これを書くきっかけになったのは、道場に行く道すがらでの烏のひと跳ねであった。烏がぴょんと地面からちょっとそばの柵に飛びあがったことであった。そこで鳥が飛ぶという事は、空の気を解脱し、真空の気に結ぶということではないかと考えたわけである。また、更に、高校時代にやっていた走高跳も同じく、空の気を解脱し、真空の気に結ぶことを稽古していたのだとわかったわけである。
後は、合気道の教え「真空の気は宇宙に充満しています。これは宇宙の万物を生み出す根源であります。空の気は物であります。それがあるから五体は崩れず保っております。空の気は重い力を持っております。また本体は物の気で働きます。身の軽さ、はやわざは真空の気を持ってせねばなりません。空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。」に従って、技を出すべく錬磨していきたいと思っている。