【第797回】 ウの言霊

最近は、布斗麻邇御霊とアオウエイで技をつかっている。そして明らかになってきたのが、まず、技を布斗麻邇御霊の運化に合致してつくらなければならないことである。この御霊の一つ、一か所でも間違ったり、不正確にすると技にならないということである。次に、布斗麻邇御霊に正確に働いてもらうためには、正確にアオウエイで布斗麻邇御霊に働いてもらうことである。
このアオウエイは声ではあるが、息であり、気であり、念であり、そして霊である。従って、只の声、音声ではないのである。その証拠に、只、アオウエイと声を出して技を掛けても布斗麻邇御霊は働いてくれないし、力も出ない。

この声と息、気、念、霊との関係、そして言霊について、二代目吉祥丸道士は、次の様に説明されておられる。
「心身の極限的最高潮時におのずから人の発するコトバには、ある不思議な宇宙的生命力というか、いわゆる霊威が宿るものであり、そのさい発動する切実なる人の言行は、その言行の成就を念じつつおこなうとき、おのずから念ずるとおりの事象を招来すると信じられた。・・・コトバ以前のひびきとしては「声」「音」「韻」としてあらわれるが、より純粋には「気」「念」というほかにいいようのない状態にまで抽象化される。そしてそ「気」「息」なる極点において発せられるコトバは、人智の解析を超えるがゆえに「霊」(たま)といわざるをえない純粋直観的な悟性の対称、すなわちいわゆる霊感あるいはインスピレーションの象徴にまで止揚される。そこにおいてコトバは神とともにあり、つまり神人における一如の玄妙至境におけるコトバが「言霊」として慧悟される。」(『合気道開祖 植芝盛平伝』植芝吉祥丸著)
つまり、アオウエイは、只の声ではなく、息、気、念、霊でもある言霊でなければならないと云われているのである。

誰もが諸手取呼吸法で苦労しているはずである。稽古を真剣にやればやるほど、この諸手取呼吸法は大事な稽古法であると思う反面、難しくなってくる。
こちらの一本の腕に、相手は二本の手の諸手で抑えてくるという物理的、理論的には不可能な事をやろうとしているわけである。
一本の腕で諸手を制するためには、異次元で、異質の力をつかわなければならないことになる。その主力は“ウの言霊”であると考える。布斗麻邇御霊のを“ウの言靈”でつかうのである。口(くち)からは息を吐きながら、腹中で息を引き、息を吐き、そして十字をつくって気を生むのである。
ここから大きな力(気、エネルギー)が出てくるので、諸手でも、諸手の二人掛けでも制する事ができるようになるわけである。
しかし、がしっかり働いて大きな力が出るためには、この“ウの言霊”の”ウ“と声で発するか、無声で念じ、腹中を縦横十字に練って気を生み出さなければならない。もし、この”ウ“が無かったり、軽すぎると、力は腹の上に浮き上がり、力が出ない。
また、でしっかりと天地と結ばないと、“ウの言霊”が働けない。

若い頃、大先生は、大本教の出口王仁三郎師の元で修行されていたが、ある日、若い人たちと大岩を動かそうとしている処に出口王仁三郎師が通りかかって、「これはウの言霊じゃ」と云われた。大先生はそのウの言霊で、ウーーと渾身の力を込めると岩はぐらりと動いたと云われている。
この“ウの言霊”こそ、上記の“ウの言霊”であると、これまでの疑問が一つ氷解した次第である。

“ウの言霊”の鍛練は、呼吸法がやりやすいと思う。特に、片手取り呼吸法がいいだろう。これで“ウの言霊”が働いてくれるようになれば、諸手取呼吸法、そして他の技でつかっていけばいい。これまでと違った技づかいになるはずである。

参考資料  『合気道開祖 植芝盛平伝』植芝吉祥丸著 講談社)