【第772回】 天の浮橋に立ち、天の御中主神になる

合気道は技を磨きながら精進していく。それほど多くない基本の技を繰り返し繰り返し稽古していくのである。そして技を繰り返し繰り返し稽古していくことによって、数年もすれば、無駄がそぎ落とされ、力が籠った武道の技が出来てくるのである。ここまでは誰がやっても上達できる。勿論、上手い、強いには程度の差が出る。

さて、この先の精進であるが、これが容易ではないと思う。何故ならば、ここからはただ稽古を続ければいいのではなく、やるべき事をやって稽古を続けなければならないからである。
それ故、やるべき事とは何かが分からなければやりようがないわけで、先ずはそれを見つけなければならないわけである。
それを見つけるにどうするかというと、合気道をつくられた大先生の教えからである。大先生は合気を精進するためにどうすればいいのか、どうしなければならないのか等を教えておられ、我々稽古人がそれをやって精進するのをお待ちになっているはずである。

技を生み出していく上でやらなければならない大先生の教えは、例えば、天の浮橋に立つこと、そして天の御中主神になることである。
大先生は『合気神髄』『武産合気』でこれを次の様に言われている。
「天の浮橋に立たねば武は生まれません」「ほかに何がなくとも、浮橋に立たねばならないのです。」
天の浮橋とは、「丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字なのです。これを霊の世界と実在の世界の両方面にも一つにならなければいけない。」(武産合気 P.98)ということであり、「魂を上に魄を土台にして進む」ことである。
それが分かり易い典型的な技の諸手取呼吸法は、この天の浮橋に立ってやらないと魄の力になり、大きな力が出ないものである。
この天の浮橋に立って技と体をつかうと、相手の力を抜いたり、相手を浮かす異質の力、強力な力が出るようになるが、ここから天の御中主神になると更なら力が出るようになる。

そのために大先生は、「合気道は、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になることである」と言われている。
しかしこれまで、天の御中主神がどのような神なのか、“天之御中主神になる”にはどうすればいいのか等分からなかったので、天の御中主神にはなれなかった。

最近、「布斗麻邇の御霊」に出会い、大先生の難解な教えも多少わかるようになり、天の御中主神のことも分かってきたのである。
その最重要なものが、天の御中主神にならなければ、技を上手く産み出していく事が出来ないという事である。これを大先生は、「天之浮橋に立ったおりには、自分の想念を天に偏せず、地に執(つ)かず、天と地との真中に立って大神様のみ心にむすぶ信念むすびによって進まなければなりません。そうしませんと天と地との緒結びは出来ないのです」「合気道は、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になることである。自分がスを出し、二元の交流をして、自分にすべての技を思う通りに出してゆくことである。体と精神と共に、技を生み出してゆく。」と教えておられるのである。

天の御中主神にならなければならないということであるが、天の御中主神になるためには天の浮橋に立つ必要があるわけです。それを、
「合気道は天之浮橋に立たなければなりません。これは一番のもとの親様大元霊、大神に帰一するために必要なのであります。」と教えておられるのである

この“天の浮橋に立ち、天の御中主神になる”教えに従わなければ、稽古を更に何年続けても上達は保障されないし、大先生が言われるように、体を壊すことにもなるだろう。
大先生の教えに従った稽古に切り替えなければなりません。