【第771回】 フトマニ古事記 その1

これまでも書いてきたが、合気は「古事記の営みの実行で神習っていかなければなりません」「古典の古事記の実行」「天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのです」であると、大先生は教えておられる。古事記の営みの実行で技をつかわなければならないということになる。
「古事記の宇宙の経綸の御教えに、神習いまして日々、練磨していくこと」なので、古事記には宇宙の経綸の教えが書かれているので、その教えに習っていくのである。
古事記は古事記神代巻である。

しかし、古事記神代巻だけでは“古事記の営み”や“宇宙の経綸の御教え”を理解し、身に付けるのは難しいと思う。この古事記の営みが分かるためにはフトマニでやらなければならないのである。これを大先生はフトマニ古事記と言われていると考える。大先生は、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」と教えておられるのである。
それを具体的に、また、分かり易く、次の様に教えておられる。
「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりっと回るからできるのです」

しかしながら、これでもまだ難しく、まだまだ不明な点がある。
一つは、古事記と布斗麻邇(ふとまに)との関係。別物であるのに何故一緒になるのか?
二つ目は、何故、合気道の植芝盛平開祖がフトマニ古事記を合気に取り入れたのか。その経緯は?
三つ目は、フトマニ(布斗麻邇御霊)の中身の解釈
等である。
これらの事項が明らかになれば、合気の真の技、武産合気の技を生み出すことが出来るようになると考えている。時間とスペースを取りそうだが、一つずつ研究していくことにする。

一つ目は、「古事記と布斗麻邇(ふとまに)との関係。別物であるのに何故一緒になるのか?」である。
そこで古事記と布斗麻邇の出会いについて簡単に記す。

「言霊学」研究者・国学者山口志道(1765年〜1842)は国学者荷田春満(かだのあずままろ)の流れを汲む荷田訓之(かだののりゆき)に学び、伝授された「稲荷古伝」が手がかりとなり、山口家に伝わる神宝「布斗麻邇御霊」古事記神代巻に照らしてみると、これが天地の水火(いき)の教えであることを悟ったのである。
これが古事記と布斗麻邇の出会いである。
志道は、これに基づいて、自身の「言霊学」を構築し、丹波亀山で、「水穂伝」(1834)を著したのである。

二つ目の「何故、合気道の植芝盛平開祖がフトマニ古事記を合気に取り入れたのか。その経緯は?」である。

植芝盛平翁は、一時、大本教におられ、出口王仁三郎から言霊の教えを受けた。その教えの基が『大本言霊学』であると思う。この書に出口王仁三郎は、霊学真理を先師本田九郎親徳(1822 ? 1889)に授けてもらったとある。本田は神道霊学中興の祖と言われ、鎮魂帰神を中核とする本田霊学を日本に確立した。出口王仁三郎は本田から「稲荷古伝」「水穂伝」「布斗麻邇御霊」を教わり、大本教の言霊の教えとしたと考える。
『大本言霊学』を読んでみると、山口志道の「水穂伝」とほぼ同じであるのである。つまり、大本教で教えていた言霊学は山口志道の「水穂伝」ということになる。
そして合気道植芝盛平開祖がこれを学び、フトマニ古事記として合気道に取り入れていったということになるわけである。従って、我々合気道家は『大 本言霊学』でも「水穂伝」のどちらを勉強してもいいことになるだろう。

三つ目の、フトマニ(布斗麻邇御霊)の解釈であるが、次回から、『大本言霊学』の布斗麻通御霊を研究してみたいと思う。


参考文献
『大本言霊学』出口王仁三郎著 八幡書店
『言霊秘書』大宮司朗監修 八幡書店