【第768回】 大先生の教え

合気道を学び、修業していくためには大先生の教えに従わなければならない。難解で従うことが出来ないとしても、大先生の教えに反してはならない。さもないと精進することは出来ないだけでなく、心体を壊すからである。
しかし、大先生の教えは難しい。大先生の教えが凝縮されている『合気神髄』『武産合気』は何度読んでも難解である。

『合気神髄』『武産合気』を理解しようと、“読書百遍意自ずから通ず“と何度も読んでいるが、最近、只読んでいるだけでは駄目だという事がわかった。
先ず、両書は通常の知識や技術書ではなく、教えの書であるということを意識して読まなければならないということである。大先生が、我々合気道家たちに、合気道を少しでも分かり易く教えようとされている事が見えるのである。
更に、両書の教えの文章は字面だけを追っても、大先生の教えは分からないということである。

今朝、出合った大先生の教えの文章の一部である。多少長くなるが、省略しないで記す。省略しないのは、大先生の言葉の一語一語に重要な意味があるから、一語でも省略すると意味が違ったり、別な教えになってしまうからである。
「日本には日本の教えがあります。太古の昔から。それを稽古するのが合気道であります。昔の行者などは生産びといいました。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事をするのです。昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」(合気神髄P101)

これは合気道を向上(精進)していくための教えである。この文章の中に、沢山の教えがあるのである。

まず、日本の教えであり、その教えは太古からの教えであると、大先生はいわれているのである。太古からの教えとは、宇宙が産みだされ、天地が出来上がる営みと法則であるという事である。○△□などはこの教えを図象にしたものである。陰陽十字なども太古の教えと言えよう。また、大先生は「布斗麻邇(ふとまに)の御霊」の教えも受けておられたようで、古事記を我が国の法典とも言われておられる(武産合気 P.75)。大先生が過って杖や扇子で宇宙創造、天地創造、宇宙楽園、地上天国を神楽舞されたのは、この日本の太古の教えを舞われておられたわけである。

次の教えの例は、昔の行者の生産結びの息づかいである。
「イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事をする」とある。合気道での仕事をするは、技をつかうことになるから、技はこのイクムスビでやらなければならないという教えである。
しかし、ここの教えはこれだけではない。この生産結びの息づかいの教えは“昔”の行者の教えであるということである。つまり、この後の息づかいがあるという教えが隠れているわけである。それは稽古を積んでいくとわかってくるわけだが、それは例えば、阿吽の呼吸のはずである。
イクムスビの息づかいを身に付けたら、そこで止まらないで、次の阿吽の呼吸に進まなければならないという教えなのである。

次の鳥船・振魂の行事である。「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」とある。
まず、昔の、つまり伝統的でオーソドックスな鳥船・振魂を行じ、身に付けなければならないという教えである。そしてそれがある程度身に付いたら、更に新たな発見をし、身につけ向上していかなければならないという教えである。つまり、教わった事を後生大事に持っているだけでは駄目だという事である。
例えば、鳥船でも学ぶ事はいくらでもある。鳥船は半身だけでなく真向いや一重身でも出来る。また、腰腹から手足の末端まで各部位を鍛える事も出来るし、内臓も強靭に鍛える事も出来る。手先を伸ばしたり、絞って柔軟強固な手をつくることも出来る。また、気力や呼吸力を練る事も出来る等‥である。

これが大先生の教えであり、大先生の教え方である。学校の先生のような、具体的な分かり易い教えではない。大先生は教えるのではなく、行って教えられるのである。これを大先生は、「私は教えるのではなく、行うのです。行いを見て和合し、祭政一致の本義を知ってほしいのです。」(武産合気P.54)といわれているのである。学校の先生とは違うわけである。

上記の文章にあるように、大先生の言葉には、目に見える字での表の教えと目に見えない、字には表れていない隠れた次元の教えがあるのである。言うなれば、顕界と幽界での教えである。故に、顕界の字面だけを見ても、大先生の本当の教えはわからないのである。幽界の教えが分かるようになるためには、幽界の稽古、魄に頼らない稽古の次元で稽古をするようにならなければならないはずである。
尚、大先生の写真の中にも教えがある。顕界だけでなく、幽界の教えである。分量が多くなってきたので、この説明はやめる。

これが大先生の教えであると考えている。