【第767回】 気を練る

気を感じ、気を出すことが出来るようになったら次は何をすべきなのだろうか。“気”がやっと少し分かってきて一安心としたいところだが、然(そ)うは問屋(とんや)が卸(おろ)さないというわけである。合気道の修業にはやはり終わりがないことをまたもや痛感させられた。

気は力の本であり、力の大王であり、その気を練らなければならないと、大先生は、「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい」「気の修行修練は須佐之男大神とであり、力の大王ともなり、武道の大王ともなるのである」と教えておられる。
そして気を練るために「技は動作の上に気に練り気によって生まれる」といわれ、技の動作の上で練ればいいと教えておられるから、技の稽古で気を練っていけばいい事になる。

それでは気を練る技の稽古をどのようにすればいいのかという事になる。
先ず、気を練るためには気を感じ、気を出せなければならない。気を感じず、出すことが出来なければ気を練ることは出来ないし、技も練ることは出来ないはずである。
気は十字から生まれてくるから、体と息を水火、陰陽十字につかい、体の中心の腰腹と手足の末端がしっかりと結び、手足の末端と腰腹に気が行き来するようにならなければならない。腰腹で気を手足の末端に送り腹を鍛え気を練るわけである。また、手先から気を出すことによっても、手で気を練ることになる。

気がどれだけ出て、どれだけ練れたのかを知るには一霊四魂三元八力の八力がその目安になるように思える。つまり、引力の程度でそれが分かるということである。合気は引力の錬磨であり、気が練れていれば引力は強い、十分練れていなければ引力が弱いはずだからである。
大先生の八力は、「動、静、解、疑、強、弱、合、分」である。この対照力からの引力がどれほど出ているのか、どれだけ変わってきているのかによって気の練り具合が分かると思う。手先が相手に軽く触れているだけでも、相手とくっついて、相手を制し、そして相手を導く事が出来るようになれば、 
大分気が練られたことになるだろう。
そうしたら、次は体が触れなくとも気で抑えたり、導くことが出来るようになるのだろう。

この八力を強くするために気を練るために、三元の気の稽古をすればいいと思う。気を流、柔、剛でつかうのである。剛石のように硬い気、空気のように軽い気で技をつかうのである。
どのような成果が出るのかはこれからの挑戦なので未定であるが、いい結果が期待される。