【第764回】 沢山の衣服に包まれている

最近、大先生が言われた「気は自分の衣服であると感得する」が多少実感出来るようになると、気だけが自分の衣服ではなく、もっと沢山の衣服に包まれている事が分かってきた。
先ず、己の心・魂を包み守ってくれているのが肉体の衣服である。「肉体すなわち魄がなければ魂が座らぬ」と大先生は言われている。また、「自分の身の内、すなわち魂のことである」とも云われ、魂は身体の衣服にあることになる。
肉体でも、骨は肉の衣服をつけているし、肉は皮膚の衣服をつけている。肉体は皮膚に包まれている。

これらの衣服をつけた肉体は、上記の気を衣服としている。
更に気をまとった肉体は空気という衣服に包まれることになる。これを大先生は、「自然に空気に自分の身が接触して、天地自然の衣服を与えられている理を感じられる。(武産合気 P.96)」と云われる。
それでは身を包む空気を包む衣服はないかというとある。それは大気圏外の真空である。真空が大気圏の空気、そしてその下にあるものを包み込んでいるのである。

このように沢山の衣服に人間は包まれているわけだが、衣服に包まれているのは人間だけではない。動物も植物も鉱物も同じように包まれている。水にいる魚は、空気の衣服の代わりに水を衣服としている。中には空気と水を身に付ける贅沢な両生類もいる。

ミクロの世界での衣服を見てみると、すべての生物の細胞は表面が膜の衣服で包まれている。最近、暴れ回っているコロナウィルスも膜の衣服をまとっている。

生物だけでなく、無生物と言われるものも、万有万物は皆同じように衣服に包まれているし、また、ほぼ同じ衣服に包まれているのである。
この意味から、大先生が教えておられるように、人々はみな家族であり、万有万物も家族であり、他人というものはなく、それ故、みんな仲良くしなければならないわけである。宇宙はそのように万有万物を創られたということであり、それが宇宙の愛であろう。