【第751回】 光と熱と力

以前から不思議に思っていたことが、年を取ってきたお蔭で少しわかってきたようだ。光である。
入門当時から、大先生がお見えになると目と心が大先生に引き付けられ、大先生が道場で一寸演武をされても、気持ちよく身も心も奪われていたことを覚えている。当時は、何故、大先生に目が行ってしまうのかがよく分からなかったが、それは光であったと言えるようだ。大先生は誰もが感知する強烈な光を放たれていたのだ。光だけでも相当なエネルギーがあるが、これに熱と力が加わるととてつもないエネルギーになる。特に、大先生が激怒されたときがそれであったと実感する。

年を取って来て光は見えてくるようである。木々や草花の光、赤ん坊や幼児の光等々である。また、光が消えていったり、消えてしまったのも見えるようになる。人の場合は、光を失うと暗くなる。今の社会は、暗い人間が増えていくように見えるが、世の中を明るくするためにも光のある人間を育てたいものである。合気道の世界でも、長年稽古をしている高段者たちの多くがどんどん暗くなり、光を無くしていくのは寂しい。光を出す合気道家になり、そして光のある社会を建設するお手伝いをしなければならないと思う。

まず、「光」とは何かを研究しなければならない。大先生は、「光」の定義はされていないようなので、一般的な意味で捉えればいいと考える。例えば、キリストや仏さまの絵や像にはよく光の輪がついているが、この光であり、先述の乳幼児や木々草木の光である。
しかし合気道の光は、一般的な光と違って、光に熱と力が伴わなければならないと云われている。例えば、「△は気にして力を生じ、また、体の三角体は破れざる丈夫(ますらお)の姿勢を具備さすべく、この鍛錬により光と熱と力を生ず」、「この(△○□)鍛練により光と熱と力を生ず。これ、みな修練者の引力により来る。引力は修練者の天地自然の絶対愛の感得、愛善熱の信行により来るものなるべし」。

次にどうすれば光、そして光と熱と力を生ずることができるようになるかである。大先生は、「祈りは光であり、熱であり諸神諸仏と共に、天地の営みの道に沿ってゆかなければならない」、「祈る折には、自我はなく、あらゆる執着を去って光となる」、「魂と血流が淨まると、肉体が立派な生きたすき通った光の肉体となる」、「愛より熱も出れば光も生ず」「五体と宇宙のひびきの同化。これにより光と熱と力が生まれる」「心を磨いて、本当に六根の働きをば融通の変えやすいように、つまりいう魂の道を明らかにしておいたらよい。そうすると六根は光となって、表にあらわれてくる。」等と教えておられる。
つまり、光を出すためには、祈る事、心と血を浄める事、愛、五体と宇宙のひびきの同化、心を磨く事などが必要ということになる。
このような修業を続けて行けば、光と熱と力を生じるようになるはずである。

合気道も光ある妙技をつくっていかなければならない。大先生は、「合気道は自己を知り、大宇宙の真象に学び、そして一元の本を忘れないで、理法を溶解し、法を知り、光ある妙技をつくることである」と言われておられる。
つまり、光ある妙技を創るためには、自己を知る事、大宇宙の真象に学ぶ事、一元の本を忘れない事、宇宙の条理と法則を知る事である。

光ある合気道をつくり、光に満ちた社会をつくり、地上天国建設の生成化育をお手伝いしていきたいものである。