【第747回】 魂の比礼振り

これまで“魂”について研究してきているがまだまだよく分からない。しかし、合気道は魂の学びであるわけだから、何としても”魂“を会得し、技に取り入れなければならないと思っている。
お蔭様で、最近、ちょっと進展があったようなので、それを記してみたいと思う。

その切っ掛けは、やはり大先生の教えである。次のような文章を見て気がついたわけである。
一つは、「左はすべて、無量無限の気を生み出すことが出来る。右は受ける気結びの作用であるから、すべての気を握ることができる。すなわち、魂の比礼振りが起これば、左手ですべての活殺を握り、右手で止めさすことができるのである。これが神技(かむわざ)である。」です。
次に、「魂の比礼振りは、あらゆる技を生み出す中心である、その比礼振りは融通無碍で固定したものではない。」である。
この二つの事から、 “魂の比礼振りは起こるもの”であり、技を生み出すのはこの魂の比礼振りであるということである。

まず、“魂の比礼振りは起こるもの”とあるわけだから、それが起こるようにしなければならない。そのためには、前から書いているように、「自己の魂が、身心によって科学されて出てくる」ようにする、つまり心身を科学的に、つまり法則に則ってつかうことである。そしてまた、これまで沢山書いてきた要因を身につけ、つかわなければならない。

呼吸法(片手取り、諸手取、坐技)をやっていると、上手くいった時の感覚がこの魂の比礼振りである。そして分かった事は、“魂“で初めから技を掛けるのではなく、しっかりした体と力の魄を土台にした上に魂を載せ、相手を導かなければならないということである。これまで魄の力ではなく魂で技を掛けようとしたが、相手が強かったり体力があればひっくり返されてしまう。初めは魄の力で態勢を整え、相手と接し、導き、そこからその魄を土台にして魂で導くのである。尚、ここでの”魂“は”気“と考えていいだろう。大先生は、「自在の気なる魂によって魄を動かす」といわれており、魂は気であり、魄を動かすといわれるのである。

魂の比礼振りが起こるとどのようになるかというと、例えば、片手取り呼吸投げで、こちらの手を掴んでいる相手が、右左上下に自由自在に動くのである。これは魄の力ではなく、魄を土台にして、その土台の魄の力をつかわずに下に置き、その上に魂を置いて魂で相手を動かすのである。相手が力を入れようと頑張ってくれば、自ら浮き上がったり不安定になり、こちらの自由になるのである。
その際、相手が掴んでいる手は魄と魂を行き来する“振り”が生じ、相手の動きもそれに応じるが、それが比礼振りに感じられる。
後は、大先生が注意されているように、魄に堕せぬように魂の霊れぶりを大事にしてやれば相手は満足して倒れてくれる。

大先生は、「魂は自分自身で創るのであります」とも云われているわけだから、魂の比礼振りが起こるように稽古をしていけば“魂”が更に分かるものと思っている。