【第744回】 四つの宝の中の潮の干満

天の気に合わせて天の呼吸、そして地の呼吸により技をつかうべく修練しているが、これによって技がそれ以前より大分効くようになってきた。
しかしながらまだまだ技は不完全である。
そこで再度大先生の教えを調べてみると、「日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満とこの四つの宝を理解せねばだめなのです。」という教えが目についた。これまでは、「天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す。」という教えに則って技をつかっていたのだが、この教えと多少違っているのである。

その違いは、先ずこれまでの“天の気”に対して、“日月の気“とあることである。”天の気”には日の気と月の気があり、この日の気と月の気の両方の気によって、天の呼吸と地の呼吸をつかわなければならないということなのである。天の気と天の呼吸・地の呼吸を合わせて技と体をつかってはいたが、日の気と月の気を意識して分けてつかわなければならないことになる。
天の呼吸は吐く息で、日の呼吸と月の呼吸があり、地の呼吸は引く息で、潮の満干があるように、天の気も日と月の一対であるということだと考える。
これから日の気と月の気を研究してみたいと思う。

次に、地の呼吸は潮の干満(潮満・潮干、赤玉・白玉)であるのに、更に、別に“潮の干満”が加えられたことである。地の呼吸を“潮の干満”と強調されているのである。
これには重要な意味があることが分かってきたのである。つまり、上手くいかない原因がここにあるのではないかということである。

これまで出来るだけ呼吸法を稽古するようにしている。片手取り呼吸法、諸手取呼吸法、坐技呼吸法等である。大分長い間稽古しているので、「天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す。」でやれるようになり、これで大体の相手を制する事ができるまでになった。
しかし、相手も力をつけてきたり、こちらのこの気のつかい方や息のつかい方などのやり方に慣れてくると、しっかりと掴んだり攻撃してくるので、時として力んでしまったり、腕力に頼ることになる。そしてまだまだだなと反省すると同時に、何が欠けているのか考えることになる。

相手が力一杯しっかりと掴んできた場合でも相手の力を抜き、相手を浮き上がらせたり、無重力状態にするのが、この地の呼吸の“潮の干満”なのであることが分かった。手首を掴ませた場合、掴ませた手首の先に息(気)と力を出し、手首から上(肩方向)に息(気)を思いっ切り引くのである。すると手先の方が干となり、そして反対側が息(気)と力で満ち、干満が感得されるのである。
この手の“潮の干満”がなかったり十分でなく、ただ地の息でやっていれば、相手の力に押さえられて動かなくなるか、腕力に頼ることになるわけである。
また、この“潮の干満”は上肢だけではなく、下肢でもつかわなければならない。特に、足首を支点とした下への息(気)と力を出し(干)、足首から上(腰方向)に息(気)を引く(満)の“潮の干満”である。因みに、潮の満干ではなく“干満”とあることも大事な事であると思う。

この“潮の干満”を加えて、日月の気と天の呼吸と地の呼吸と四つの宝を合わせて技をつかえばいい技が生まれるはずである。何故ならば、次の様に大先生が保証されているからである。「日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満とこの四つの宝を理解せねばだめなのです。もう一つ、澄み切った玉が必要です。この五つのものが世界を淨め、和合させていると思っている。植芝ばかりではない。これに賛成する人は、同志として光明を天から与えられ、それを観得される筈です。」(合気神髄P.14)
今回は五つ目の“澄み切った玉”は省いているが、“潮の干満”を加えた四つの玉だけでも光明を天から与えられるのには変わりないはずである。