【第575回】  合気道聖典の読み方

合気道の聖典とは『武産合気』と『合気神髄』を指すが、私が独自に言っているだけである。しかし、この『武産合気』と『合気神髄』は合気道を志す者にとっては必読の書であることに間違いないと確信しているし、この書を読まずして合気の技を身に着けること、合気道の目標を達成することは不可能だと思う。

しかし、合気道家はこの聖典に四苦八苦していると思う。何故わかるかというと、自分自身が四苦八苦したからである。50年以上四苦八苦していたのである。

最近になって、ようやく少しずつ解りかけてきたので、どのようにして『武産合気』と『合気神髄』を読んで来たのかを書くことによって、この聖典は買ったが、読みあぐねて埃をかぶせ、読まないままにしている人に、再挑戦してくれることを期待するからである。

まず、この難解である聖典『武産合気』と『合気神髄』を理解しようとするなら、100回ずつ読むという意気込みが必要である。読書百遍意自ずから通ずである。一度や二度で分からないからといって諦めては駄目である。一・二度で分かってしまうようなものはそれほど価値があるものではないだろう。読めば読むほど少しずつ解ってきて、それが己の技や生き方、考え方に影響を与えてくれるモノこそ本当に価値があるというものであろう。
現代社会は忙しい。時間との競争であり、短時間で最大の効率をあげるという高率志向の社会であるが、それに偏ると人も社会も偏ってしまいおかしくなる。
合気道家は、無意識のうちにではあるが、その偏りを直そうとして合気道を修業しているはずである。
時間と労力を惜しまず、一回読んで一つでも解れば、その新しい発見に喜び、二回目に続ければいい。二回目で更に二つ、三つ、三回目に更に十・・と増えていく。100回目が楽しみになるはずである。

しかし意気込みだけでは読んでも解らないだろう。少しでも解るために、辞書や事典を用意することである。私はこの聖典を読んでわからない時は、手元の『大辞林』『広辞苑』『漢和辞典』(角川書店)を見る。特に『大辞林』にはお世話になっている。勿論、開祖がつかわれている言葉の意味と事典では違う場合が多いが、開祖の言葉の一般的な意味を知ったり、その関係を知るには必須である。

難解な聖典を読んでいくために持っているもう一つがある。それは単語帳である。パソコンに「武道用語集」をつくり、数十年かけて難解な単語や重要と思われる文章をこの単語帳に入力しているのである。そして聖典を読んで解らない言葉が出てきたとき、この「武道用語集」を見て確認するのである。勿論、この論文を書く時などは非常に役立っている。

解らない言葉を調べ、そして書き残して置くを繰り返していくのである。これを繰り返していくと、或る時、不可解でバラバラだったモノが繋がってくるのである。これは技の稽古と同じである。バラバラだった動き(例えば、手、足、腰など)や技(例えば、十字、陰陽等)が技につながってくるのと同じなのである。
つながってくると、それまで難解だった聖典はひとつの明確な方向に向かっていることがわかり、頭で解ってくるし、技で表わすことができるようになるので、解ってきたという実感をもつことになるわけである。

合気道聖典の読み方の四つ目は、読んだことを形稽古での技に取り入れていくことである。つまり、聖典は通常の書物のように目や頭で読むのではなく、体で読むのである。読みながら技につなげ、そして技で試し、そしてそれを身に着けていくのである。
不思議な事に、この聖典の理解度と技のつかう方の程度はほぼ同じであると思う。ということは、聖典を読むことと技とには相乗効果が働くということである。
よく読んで、そしてまた稽古をすることこそが合気道聖典の読み方といえよう。