【第321回】 勘を大事にする、磨く

稽古の時、あるいは日常生活や仕事の時に、問題を指摘したり、解決策を教えてくれたり、また、これはよいとか悪いとか、こちらの方がよいと言ってくれるなにかがある。また、自分が考えそうもないアイデアが、インスピレーションとして出てくることもある。

稽古でもいろいろなアドバイスをくれることがあるが、それは合気道が上達するためのものであり、心体がよい方向にいくためのものである。

それがなにものなのかはわからないが、姿も形もない声に素直に従っていくと、技の上達があるようだ。特に、世俗のことを忘れ、合気道に集中した稽古をしている時、その声が頻繁に現れ、驚くようなアドバイスを提供してくれることもある。これを、人は「勘」ともいうのだろう。「勘」とは直感的に感じ取る能力であり、第六感ともいわれるものである。

この「勘」というものがあることは、実際に体で体験しているわけだからわかる。だが、それを発信するのが何者かわからなかった。しかし、開祖の「宇宙のひびきをことごとく人は身の内に受け止めており、人の動きはすべてことだまの妙用によって動いている」という言葉に、分かったような気がする。

人は自分が何かをつくりだし、何かを創造していると思っているようだが、どうもすべてのものは、すでに宇宙にあるようである。それを宇宙はひびきによって、人に知らせようとしているのではないだろうか。そのひびきが感じやすいことを勘がよいといい、そうでないのを勘が悪いとか、鈍感というのだろうと思う。

合気道は真善美の探究であるといわれている。つまり、自分の真善美を精錬・昇華していくことである。宇宙も生成化育していくわけだから、真善美も昇華しようとするはずである。宇宙はそのようなひびきを発しているはずであり、人はそのひびきに共鳴できるはずである。

宇宙からは、生成化育のためのひびきが絶えず発せられている。それを感じるか感じないかは、人による。それを多く感じる人は、宇宙からの恩恵を沢山受けるわけだから、よい仕事ができることになる。科学者も、音楽家も、画家も、また武道家、そして合気道家も、同じである。開祖は、凡人にはとても不可能なほどのものを、宇宙のひびきから頂いたものと想像する。

宇宙のひびきを頂くためには、勘を大事にしなければならない。自分の勘を信じることである。美しいと感じれば、それを美しいと信じ、正しいと思うことは正しい、真と感じれば真と、信じることである。

自分の勘を信じて生き、そして合気道の修行をしていくべきだろう。意固地になって、宇宙のひびきとひびき合えなければ、宇宙の知恵を身につけることはできないはずであるし、宇宙との交流を目指す山彦の道を達成することもできないだろう。まず勘を大事にし、そして磨いていきたいものである。