【第275回】 合気道の修行

合気道は技を練磨しながら精進していく武道であるが、練磨すべき「技」がどういうものなのかをしっかり把握していないと、練磨もできなければ精進もできないことになる。

合気道には100にも満たない基本技があるが、初めにやらなければならない練磨は、この基本技の形を身につけることである。その基本技の名前を聞いたり、技を見ただけで、その基本技の形を自分でもできるようにしなければならない。そして、この基本技の形を「取り」と「受け」で覚えながら、合気の体をつくっていくことになる。

これは誰もが通らなければならない関門であるが、あくまで入門編である。本当の技の練磨は、ここから始まるのである。

合気道の技の練磨は、技を新しくつくることでもないし、改変することでもない。合気道の技は、宇宙ができる前から存在しているといわれている。技の練磨とは、宇宙の法則に則っている技を見つけ、技にある真理を見つけ出し、それを自分の体をつかって、自分の技に取り込んでいくということだろう。そして最後は、技に自分をはめ込んでいかなければならない。

しかしながら、一つの技の形(例えば、正面打ち一教)にさえ無限と思われる真理(技要素)があるわけだから、たとえ100にも満たない基本技とはいえ、取り(攻撃法)と掛け(攻撃人数)との組み合わせで、相当の技数になるはずだ。これをひと技ひと技、個々につぶしていくのは大変なことであるし、不可能に思える。

技の練磨は、真理(技要素)を会得することと考える。この真理(技要素)を会得するという事は、その真理を見つけるということと、それを自分の体で表現できるようにするということである。

一つの技の形の中で発見し、会得した技要因が真理であれば、それは他の技の形でも遣えるはずであるだけでなく、恐らくすべての技の形で有効であるはずである。例えば、円、螺旋、陰陽等などである。つまり、合気道の修行法というのは、このすべての技の形に適用する真理を、一つ一つ会得していくことであろう。

たかだか一つの小さな真理の発見や会得をしたところで、無限にあるだろう真理からすれば、微々たるものだと思うかもしれないが、大いに意味があるはずである。なぜならば、一つの発見でも会得でも、それはすべての技の形に有効であるわけだから、無限(∞)のものを発見、会得したことになり、他のすべての技の形でも活用することが出来るようになるはずだからである。

開祖は「修行方法を一言すれば、武は体の変化の極まりなき栄えの道ならば、一を以って万にあたる道、一より万法を生み開くクサナギの剣を練り、その責を完遂・達成せしむるにある。」といわれている。つまり、この万法を生む一が、クサナギの剣ということになるのだろう。

合気道の修行とは、万に通ずる一を見つけ、このクサナギの剣を練り、宇宙生成化育完成のお手伝いをする、ということのようだ。

参考文献    「合気道新聞 No.57」