【第273回】 技の法則

宇宙には、法則があるようだ。合気道の技は宇宙の営みを形にしたものだといわれるので、合気道の技には、宇宙の法則という法則性がなければいけないことになるだろう。

科学とは法則性を見つけていく学問という事ができよう。そして、法則性があるものは、科学的といわれて評価される。従って、評価されるということは、法則性があるということができるかもしれない。

例えば、科学と、対象にされる芸術分野での絵画にさえ、法則性があるようである。時代を先取りしている芸術は、往々にしてその時の人には評価できないものであるが、時間が経つと評価されるということがよくある。それは、当時、その絵画に何かあると思われながら、その中に法則性、合気道的に言えば、「宇宙の法則」を見つけることができなかったが、後年それを見つけたことによって、評価されたということだろう。

合気道も、科学しながら精進していかなければならないと言われる。従って、まず合気道の技の中に、法則を見つけていかなければならない。技を発明するのではない。既にあるはずの法則を見つけるのである。例えば、十字、螺旋、陰陽表裏一体等などであろう。

ある技から法則を見つけたら、更なる法則を見つけていくと同時に、その見つけた法則を他の技や他の稽古相手に試し、自分の技に取り入れていくのである。例えば「足は、右左を陰陽で規則正しく遣う」という法則を一教で見つけたとすれば、これを入り身投げ等で試していくのである。それができれば、それは正しい法則となるはずだから、今度は自分のすべての技にそれを法則として取り入れていくのである。

そうやって、合気道の技の法則をどんどん取り入れていくのである。法則性があるということは、同じ条件下では誰がどこでやっても同じ結果を出すということである。

合気道同人は、合気道の技から法則を見つけ合い、ひとつでも多くの法則を身に着けるようにしていきたいものである。これを、技の練磨というはずである。

宇宙の営み、つまり宇宙の法則が、自己のうちにあるのを感得するのが、真の武道であるからである。もし、宇宙との一体化を夢みたいなら、このような技の練磨は不可欠と考える。