【第668回】 後進を引っ張る

高齢者の役割について書く。世の中すべてそうだと思うが、高齢者がしっかりしないと、若者に元気が出ず、世の中の活力がなくなるので、高齢者の役割は大きいと思う。
これを合気道の世界で考えてみようと思う。
合気道を稽古している若者は、主に、若い仲間同士や後輩と切磋琢磨しながら稽古をしているが、高齢者とはあまり稽古もしないし、意識もしていないようだ。一般的には、堅くて体力がない高齢者とは、あまりいい稽古が出来ないからであろう。
しかし、これは若者の問題ではなく、高齢者が考えなければならない事であると思う。

あまり意識していないかもしれないが、若者は高齢者を見ているはずである。
そして高齢者に何かを期待しているはずである。自分が高齢になった場合の事を感じ取ろうとしているはずである。
従って、高齢者が自分に理想の技づかいや態勢、姿勢をしていれば、将来に希望や楽しみを持って、更に稽古に励みを持つだろうし、そのような魅力的な高齢者を目にしなければ、稽古を続ける意欲も減退するだろうし、ちょっとした事で稽古を辞めることになってしまうはずである。
若者に、将来に希望を持たせ、楽しみを与える稽古を与える役割が高齢者にはあると思っている。あの年まで稽古をしても、あんなものかと思われるのではなく、あのようになれるのだと思わせるようにしなければならないわけである。

そのために、高齢者は次のような稽古をしなければならないと考える。

  1. 稽古を一生懸命に頑張ること。相手ではなく、自分自身との真剣勝負をするのである。
  2. 日々どんどん変わっていくこと。技も動きも、体も少しずつでも変わっていくことである。勿論、考え方も変わっていかなければならない。
  3. そして、変わることによって、この先どこまで変わるのか、自分でも期待できるようにしなければならない。
この姿を若者に、見せるのではなく、いつ、どこで見られても恥ずかしくないように稽古をしていくのである。

更に、高齢者は若者と比べ、生きている時間と稽古時間が長いわけだから、稽古や生きるという経験が豊かであるので、その若者の期待を裏切らないような稽古をしなければならない。
例えば、稽古にはやるべき事、そしてその順序と段階がある。高齢者はその道を辿ってきたわけだから、若者の稽古を見れば、この若者は、自分がやってきたあの段階にあり、ここに問題があり、また、これからこんな問題にぶつかることになる。そしてその壁を破らなければならなくなることも見えてくるはずである。当然、その解決法は持っているわけだから、若者からその質問があれば、答えられる余裕がなければならない。

若者に刺激を与え、説得力を持つためには、若者とは異質であり、異次元にいるようにしなければならないだろう。
例えば、諸手取呼吸法である。最初は、持たれた腕の体の部分でやるが、腰腹からの体全体の力をつかえば、説得力が生まれる。部分と全体という、異質の力をつかうことになるからである。
次に、今度は、この腰腹の体の全体の力を息づかいでやるのである。イクムスビや阿吽の呼吸でやるのである。若者はそれまでに感じた事のない異次元の感覚を持つことになり、納得することになるわけである。
これはまた、気、魂と進んで行くわけだが、これが更なる異次元に入っていくことになる。次元が違えば違うほど、若者は摩訶不思議と感じ、自分もそうなりたいと頑張るようになるはずである。

高齢者になれば、やった事は理論化でき、言ったことは技で示せるようにならなければならない。それができなければ、本当に身についたことにはならないし、若者に分かってもらえない。
これが出来て初めて、若者に教える事ができることになろう。

高齢者も体は何時までも鍛えなければならない。よぼよぼの体では、特に、若者には幻滅を与えるだけで、若者の合気道の将来を暗いモノにしてしまう。
技や思想などのソフトだけでなく、体のハードとの両方、合気道で云う魂魄が表裏一体になって働くようにしなければならないからである。

若者や後進に、追いつき、追い越そうという思いに導くよう、高齢者になぞ負けないぞというような気持に導くようにするのが、高齢者の役割ではないだろうか。