【第65回】 アウトプットが大切

毎日、会社に行って働いている者にとっては、定年退職して悠々自適に暮らしている高齢者を見ると羨ましいと思うだろう。自分も定年になったら、あれをやろうとか、あそこに行ってみようなどと考えるのではないだろうか。しかし、実際に定年になって仕事を離れることになると、誰もが寂しくなるはずである。ハッピーリタイアなどといって人は祝ってもくれるだろうが、本心はそれほどうれしいわけではないだろう。明日から何をしていけばよいのか、まず考えてしまう人も多いのではないか。奥さんや子どもも、生活のスタイルが変わることになるので、内心ではどうなるか心配しているだろう。

定年前に考えていたことも、いざ定年になってしまうと、なかなか思うようにできるものではない。前の計画を実行するにあたって時間的、経済的な面では問題なくても、肉体的、精神的な面での問題があって実行できないことが多いようである。計画を立てたときは、経済的状況と時間的な状況は計算したり、予想できるが、体力及び精神力の変化や衰えは予想しないし、出来ないからである。人は今の健康状態はずーっと続くと錯覚しているものである。

しかしながら、年を取れば肉体的及び精神的な衰えは避けられないことだ。できることは、そのスピードを遅らせることであり、そのためには日頃から肉体と精神を鍛えておかなければならない。

肉体と精神の衰えていることでの一番の問題は、自分の肉体と精神が衰えていることや、実際にどれくらい衰えているかが、分からないことである。それが分かり、意識できれば肉体と精神の衰えのスピードを減速することができよう。分からないことほど始末の悪いことはない。

自分の肉体と精神の状況を把握するためには、なにか自分でアウトプットすることである。高齢者になるとTVを見たり、本を読んだり、旅行をしたりなどインプットはするが、自分で何かをつくりだす、創造するようなアウトプットはなかなかしなくなるものだ。しかし、「人は何か生産的、創造的に生きていないと満足できない」ということがわかってくると、アウトプットの大切さがわかるだろう。自分を表現するアウトプットは沢山ある。絵画、音楽、芸能、俳句、短歌、歌や踊り、スポーツなどなど。また、アウトプットをしていると、そのためにいろいろな情報を得ようと意欲的になる。TVを見ても、本を読んでもアウトプットと結びつくので、インプットが受動的に終わるのではなく、能動的、創造的なものとなり、それがさらにアウトプットになることになる。

アウトプットは頭だけでなく、体も使ったものが望ましい。そういう意味で、合気道は最高のアウトプットであろう。体も適当に使うし、自分のペースで無理なく動けて、宇宙や自然と自分の関係を実感したり、自分の思想や哲学を技で表現することが可能で、そして何よりも、よきにつけ悪しきにつけ、自分が変わっていくのがはっきりと自覚できるのである。合気道を稽古している高齢者は、自分の今までの経験や稽古で培った思想、哲学を技にアウトプットすることができる。合気道は、自分を表現できる素晴らしいアウトプットである。長く続けて欲しいものである。