定年になって会社に行く必要もなくなり、時間ができ、時間を自由に使えるようになると、天国でもあるが地獄もあるようだ。会社に行って仕事をしている時には、早く定年になって、自由な時間で、自由に過ごしたいと思うものだが、実際に自由な時間での暮らしに入ると、1,2年は好きな事やそれまでやりたいと思っていたことをやって、自由な生活を満喫するが、それが一通り終わると地獄ともいえる生活が待ち構えている高齢者が多いように見受ける。街の中、図書館などの公共施設、デパートの休憩所等‥で、多くの高齢者が時間を持て余している姿を見るからである。もったいない話しである。やはり定年後も天国として生きて行きたいものである。
物事には裏と表が必ずあるから、天国があれば地獄もあるのは仕方がない。後は地獄に落ちないよう、天国に居られるように頑張るしかない。そのためには、自由な時間を、持て余す負の面とせずに、喜びを見出す正の面にしなければならない。
自由な時間をプラスにつかうためには、自由な時間に不自由、つまり制限、束縛の負を加える事が必要になると考える。
制限、束縛がない自由などない。真の自由には必ず制限、束縛があり、制限、束縛があるから自由なのである。例えば、人の最大の制限、束縛は死である。死の制限、束縛があるから自由に生きようとするのである。もし、人が永遠に死なないとしたら、本当に生きようとしないだろうし、自由などないはずである。自由とは程遠い、無秩序、めちゃくちゃ、支離滅裂だけである。自由は何かの制限、束縛があるから存在し、そして自由を謳歌できると考える。
定年後の自由な時間を楽しく、有意義に過ごすなら、まず、自分がやるべきこと、やりたいことをやる事である。これは毎日やろう、定期的にやろうということで、自由な時間に制限、束縛を加えるのである。例えば、朝は何時までに起き、何時までに寝る。毎朝、運動をする。毎朝、掃除する。食事は3食取る。『合気神髄』か『武産合気』を毎日読む等‥である。これだけでも一日の三分の一の時間は取られてしまう。
そして残りの時間が本当の自由時間として使えるわけである。自由に感謝することになる。
本当の自由時間は朝の目覚めから始まる。今日は何をしようか、どうしようかを考え、そして今日はどんな発見があるか楽しみに目覚めるのである。
その日に、一つでも何か発見があれば嬉しいものであり、なければ寂しい。何か新しい発見を求めていると、大体は何かあるものである。最近思うには、これこそが、合気道の教えにある、宇宙の働きである生成化育であろう。つまり、宇宙は宇宙楽園完成へ向かって生成化育しているので、人も万有万物も生成化育を繰り返しているということである。自分も毎日、刻々と生成化育しているはずであり、自分が変わっていくことに喜びを感じることになるのである。
夜の就寝時には、今日の発見の喜びを思い返し、明日は何をやろうかを考え、そして明日は何があるか、明日を楽しみにして眠りにつくことにしている。