【第570回】 鼻ったれ小僧脱却の80才

昔の50,60、今の60,70才はまだまだ鼻たれ小僧である。合気道の稽古をしているとそれが良くわかる。かって大先生がよく「60,70才はまだまだ鼻たれ小僧じゃ」と言われていたが、大先生のお気持ちが良くわかる。
合気道を稽古していても、よく考えると、実は、技もそうだが、合気道、それに合・気・道という言葉さえ良くわかっていないことに気づくはずである。
また、『武産合気』『合気神髄』を読んでも、60,70才ではまだまだよくわからないのである。

合気道の技がつかえるためには、宇宙の法則を身に着け、宇宙と一体化しなければならないわけだから、そう簡単に一人前の技はつかえないわけである。
尚、一人前の技がつかえるようになれば『武産合気』『合気神髄』も理解できるようになるだろうし、合・気・道というものもわかるはずである。

合気道は形稽古を通して精進していく。指導者が示す基本技を稽古人が繰り返し稽古していくのだが、基本の形は決まっているが、その形がやる人それぞれ全部違っていて、たとえ師範と同じにしようといくら真似しても、師範とも同じにはならないものである。

それは各人が別々の生き方をしているからである。合気の道とは別に、人は別の道や世界に生きていて、それまでやって来たことがそれぞれの形に表れるわけである。また、合気道の技の形だけでなく、その人の姿かたちや言動や仕事に表れる。ということは、己のそれまで生きていた集大成が技にも表れるわけである。

年を取ったらそれまでの集大成で技がつかえるわけだから、若者よりも経験豊富な高齢者は有利であろう。しかし、ただ年を取っただけでは、経験は豊かにならないから、有利にはならない。
経験豊かな高齢者になるためには、若い内からやりたい事をやること、やるべき事をしっかりやること等いろいろな体験をすることである。
ここから自分の能力と限界がわかってくるから、若い内から、その能力を伸ばしたり、出来ない事に挑戦すればいい。

それらの集大成が人間性を形成し、合気道の技にも表れてくるわけである。
今、まだ、70才半ば。少しはいろいろなことを分かりはじめてきたがまだまだである。80才まではあと5年ほどある。

80才ぐらいでもう少しモノが分かるようになり、それによって人間が形成されるだろうから、技も少しは格好がつくようになるだろう。
鼻ったれ小僧が脱却できないかと80才を楽しみにしている。