【第535回】 情緒と合気道

岡潔(1901-1978)は、「多変数解析関数論」における難題「三大問題」に解決を与え、1960年に文化勲章をもらった有名な数学者である。(注:岡潔に関して第533回「岡潔に学ぶ」で書いている)
岡潔の頭の中はさぞかし数字や記号がいっぱい詰まっており、その数字や記号で数学の問題を解いていたのだと思っていたが、彼の頭の中には、もっと大事なモノが詰まっており、その大事なモノで問題を解いていたということなのである。

それは「情緒」である。岡潔は、「数学は全く情緒的なものであり、人間の奥にひそむ情緒を健全に育てなければ、数学の問題はとけない」というのである。
「情緒」とは、辞書によれば、@事に触れて起こるさまざまの微妙な感情、Aその感情を起こさせる特殊な雰囲気とある。
因みに「情」とは、何かを見たり聞いたりして起きる心の動き、モノに感じて動く心の動き。また、「緒」とは、糸やひもなど細長いもの。魂をつなぐもの。

岡潔は、「人の情緒というものを呼び起こして、それを育てることが重要であり、学問は頭でするものだという一般的な考え方に対して、情緒が中心になって行うべきである」という。
更に、岡潔は人間にとり最も本質的なものは「情」であり、「知」ではないとも言っている。

また、岡潔は「心の中に大自然がある」と言っているが、これは開祖がよく言われていた、「宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切」「天の運化を腹中に胎蔵して宇宙と同化」「合気道を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、『我はすなわち宇宙』なのである」と同じことであると考える。

この「情緒」や「情」が出なかったり、無ければ、数学の難題が解けないだけでなく、いろいろな問題が起こってくるという。

かっての日本人のよさを、岡潔は「人と人の間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です」と言っている。

さて、この教えは合気道の教えにもあるし、合気道もこの情緒・情で修業していかなければならないということである。
「数学で大切なものは情緒である」ということを、「合気道で大切なものは情緒である」ということである。技の錬磨においても、さまざまな微妙な感情、心の動きを大切にしなければならない。相手を倒したり、抑えることばかりに集中していると、そこでの微妙な感情や己の心の動きなどわからなくなるから、情緒のない稽古になってしまう。
情緒のない稽古では、相手の情に通じない。情緒がないということは、人の心を知らないということになり、緻密さに欠け、粗雑な稽古になってしまう。岡潔は「人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなく粗雑になる。粗雑というのは対象をちょっとも見ないで、観念的にものをいっているだけということ、つまり対象への細かい心くばりがないということだから、緻密さが欠けるのはいっさいのものが欠けることにほかならない」と云っているのである。
更に、肉体的な目に見える姿でないにしても、見えない精神的な争いになっているはずである。

まずは稽古相手と情を通ずる情緒ある稽古をし、そしてその方法で、自然、宇宙と情緒で接し、通じていけば、自然・宇宙がわかり、またわかってももらえるようになるだろうから、合気道のゴールである宇宙との一体化に近づいていけるだろう。
因みに、情緒の「緒」は、合気道でよく使われる「魂緒」(たまのお)の「緒」で、宇宙の心である魂と人の心をつなぐものである。この宇宙の心とつながったこころが真のこころ(もう一つの心は顕界・俗界の心)であり、この真の心で情緒を感じたり、発したりすると考えている。これが岡潔が言っている「心の中に大自然がある」ということだと思う。

合気道で情緒というものを呼び起こして、それを養成していきたいものである。


参考文献 RICOH Communication Club 「経営に役立つ情報発信サイト」