【第526回】 宇宙に存在する

聖路加国際病院理事長の日野原重明さんが書かれた「99才・私の証 あるがまゝ行く」の中に、我々が目標としている宇宙との一体化を体験された文章を見たのでご披露する。
「あと2か月で満100歳になる私が、自分が宇宙にいると実感したのは5年前、ネパールのポカラ盆地からアンナプルナ連峰を望んだ時でした。上がってくる太陽が山の稜線に陰を作る、その様子を眺めて、私は宇宙に黙して存在する「無我の我」を発見しました。若さがよみがえってくる気さえしました。」

我がなくなり、宇宙の一部になってしまい、宇宙と一体化されたわけである。ネパールの山々などの大自然に身を置けば、自分の身の程を知るだろうし、宇宙の一部にあることを実感できるということだろう。人がつくり上げた都会などでこせこせと生きていくと、宇宙のことなど考えもせず、自分が偉いと思ったり、傲慢になったり、何でも想いのままになるものだなどと思って生きることになるのだろう。

しかし、都会に生きていても、人は宇宙の中で生きているし、宇宙に生かされているということを実感することができるし、また、実感せざるをえない場合もある。
最近、最愛の妻を突然亡くした。毎日、悲しさと、淋しさに明け暮れ、生活は今までとは全然違ってしまった。一部の知人や友人は悲しんだり、残念がってはくれたものの、世間は何も知らないで、これまでと何一つ変わらず、もとと同じように動いている。自然も宇宙も、朝が来て夜になり、太陽が出て沈み、そして月や星がでている。こちらが悲しんでいるのに関係なく、家の前の桜並木は例年通り満開で、多くの人たちを喜ばせていた。人の悲しみ、喜びなど関係なく宇宙は動いているのである。

方丈記にある、「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」。
宇宙は留まることなく運行(生成化育)をしており、もとに戻ることはない。しかし、この流れにある人間社会では、悲しいこと、楽しいことなど現れては消えていくを、くりかえしているのである。宇宙からみれば、流れのなかの泡みたいなものであるということだ。

己が宇宙に存在する、宇宙の一部である、宇宙と一体であるなどを実感するためには、日野原さんのような体験、私のような悲しい体験、そして合気道の目標である宇宙との一体化を、稽古を通して会得することができるだろう、ということになる。
我々人類や万有万物に関係なく、宇宙は生成化育している。人類は宇宙に存在していることを自覚していることを自覚すべきだろう。合気道の修業も目標もそれにあるはずだ。