【第403回】 70歳からの仕事は遺作

合気道の世界では、50,60歳はまだまだ鼻ったれ小僧といわれたものだが、この頃になって、実際そうだと思うようになった。世の中の事、それに自分自身のことなど、何もわかってなかったが、鼻ったれ小僧のときは、その何もわかってないことさえ、わかっていなかったわけである。

自分は何者なのか、どこから来て、どこへ行くのか等など、何もわかっていなかったし、あまり考えもしなかった。

70歳ぐらいになってくると、いろいろとわかってくるものだ。これは年のせいもあるだろうが、私の場合は、合気道の教えのお陰であると思う。もし、合気道をやっていなければ、肝心なことは何もわからず、ただヒネた、年を取っただけの鼻ったれ小僧であっただろう。

50,60歳ぐらいまでは、社会や他人に負けないように、自分を鍛え、自分を成長させる時期であろう。他によって、鍛えられるわけである。特に勉強や仕事では、鍛えられるはずだ。

学校の勉強や会社の仕事から離れるようになると、今度は自分を見つめ、自分は何者なのか、なぜ生まれてきたのか、何をすべきなのか、等などを考えるようになる。多くの人が、定年後に趣味を持って楽しもうとしたり、合気道を習い始めたりするのは、その一環といえよう。

もちろん、多くの人が学生時代や会社勤めの時から、合気道や他の趣味をやり続けている。合気道にも、そのような稽古人が大勢いる。ここでは、これらの稽古人を対象にして書いてみる。

結論をいうと、50,60歳の稽古と70歳以降の稽古は、違ってこなければならない。70歳を超えて50,60歳の稽古をしているのでは、駄目なのである。

なぜかというと、50,60歳の鼻ったれ小僧のときの稽古とは、稽古相手を対象にした稽古であり、相対的、物質的で、いわゆる魄の稽古である。この稽古を70歳以降も続けるのは、不自然であることが一つ。

もう一つは、それまで鍛えたことを土台にして、次は、自分との闘い、絶対的、精神的、魂の稽古に変えていかなければならない、と考えるからである。

しかし、70歳以上になると、さらなる稽古があるだろう。それは、自分を厳しく鍛えていくのと並行して、後進に遺産を残す仕事である。

科学でも技術でも芸術でも、そして武道でも、これまで発展・継承されたのは、これまでの優れた方々の働きによるものである。もし、その内の一人の働きとその遺産が無かったとしたら、それらは違ったものになっていただろうし、最悪の場合は、発展も継承もなかったことになる。

70歳以降は、地球楽園、宇宙天国完成に向かって、少しでもその生成化育をお手伝いし、その仕事を後進に継承できるように努めていかなければならないのではないか、と考える。

つまり、70歳からの仕事は遺作ということになるだろう。もちろん遺作として後世に残ったり、後進に継承されるかどうかは、後に判断されることである。宇宙生成化育に必要なものは、遺産として残るだろうし、そうでないモノは消えていくことだろう。

高齢者は遺作を残すべく、先が見え始めている時間をがんばるべきであろう。遺作になるかどうかは、後人が決めることである。後の評価など気にしていてもしようがない。それが天命とか使命とである、と合気道では教わっている。