【第109回】 理想に忠実に

仕事や社会生活をしていれば、嫌なことややりたくないこともやらなくてはならいことが多々ある。やる目標が自分ではなく、会社の為であったり、家族の為であったり、時として国の為であったりするから、そのためには自分を犠牲にしたり、我慢したりしなければならないわけである。しかし、それで会社の仕事が立ち行き、社会が動いているわけである。人間社会に住んでいれば、ある程度の我慢は仕方がないだろう。

人は理想を持ち、なるべくその理想に向かって忠実に生きたいと思っているはずである。しかし、思うように生きられないのが現実であろう。一つには、人は食べたり、着たり、住んだりしなければならないので、一人では生きられないし、他人と協調し、時には妥協して、目をつぶらなければならないこともある。自分一人で食べることができ、生きていくことができれば、好き放題できるが、たとえ経済的に満たされて、食べることに不自由しない人でも、他人や社会との関わりをすべてなくして、絶海の孤島や山奥や荒野のど真ん中で生きていける人はほとんどいないだろう。他人や社会とともに生きようとすれば、妥協や我慢は必要である。理想を持っても忠実に実行するのはなかなか大変である。

高齢になると、若いときと違って理想に忠実に生きやすくなる。経済的そして時間的な余裕ができるし、社会的なしがらみが小さくなるからである。叉だんだんと今まで関心があった世俗のものや周りのものに関心がなくなってくる。ただ体力と気力が無くなってくるのが問題であるが、自分の理想を考えることもできるし、それまで考えていた理想を実現していくことも出来やすくなる。

理想とは、辞書で引けば「考えうるかぎり最もすばらしい状態。最も望ましい姿」ということなので、自分が本当にどうなりたいかということに尽きるのではないかと考える。理想は夢でもある。理想にはいろいろあるだろうが、合気道の稽古で理想の自分を実現しようとする人もいるだろう。技を磨き、レベルアップして達人・名人になる、顕幽神界で遊ぶ、宇宙万世一系とに結びつく感じを得る、本当の自分を見つける、人が何処から来て何処へ行くのかを知る等々である。

若い頃はどうしても損得を基準にして物事を判断したり、やってしまうものだが、高齢になればその必要性がなくなってくる。世間とのしがらみも少しずつ無くなっていき、損得の感覚もだんだん薄れていくことが、本当に歳をとっていくということかも知れない。高齢になってまで損得で生きていくのは寂しい限りである。そういう生き方では恐らく最後の時に後悔するだろう。

高齢者も理想を持つことである。理想をもったら、時間とお金と精力をそれに集中し、それを基準に生きるべきであろう。これまでは社会や周りと妥協し、自分を殺してやってきたのだから、これからは他のものに捉われず、惑わされず、自分の理想を持ち、それに忠実に生きるのがいいのではないか。忠実に生きられればなによりも幸せであろう。

理想を持って、理想を追って、理想に忠実に生きていきたいものである。