合気道は禊であるという教えが年を取ってようやく分かってきた。大先生からもその事をよく聞いていたが、当時は合気道が禊ぎであるということは分からなかったし、合気道は武道であるので、上手く強くならなければならないはずだと力いっぱいの稽古をしていた。そして技を覚え、受けを身に着け、力をつけ、気力を養ってき、相手に技が掛かるようにしてきた。
しかし70歳を過ぎたころから、技が上手くつかえなくなってきたのである。身心の衰えである。道場稽古では稽古相手はそれに気づかなかったようだが、自分自身ではそれがよく分かった。体の弾力性が無くなり、足がふらつき、足や手に力が入らない等の衰えである。
これは不味い、何とかしなければならないと思い、木刀や鍛錬棒を振ったり、走ったり、山歩きをしたり、柔軟体操をしたりしたが、効果は現われなかった。これで私の合気道人生も終わりかなと思った。
そこで思い出されたのが大先生の教え「合気道は禊である」であった。そして自分のこれまでの合気道の修業法を禊に変えればいいのではないかと考えたわけである。これまでのスポーツ的な稽古から真の武道の合気道的稽古(修業)、つまり相対的な稽古から絶対的な稽古・修業に変えることである。これまでの相対的稽古で培ってきたモノを土台にして、絶対的な稽古を積み重ねていくのである。言うなれば、スポーツ的な相対的な稽古から絶対的な稽古(修業と云っていいだろ)、自分自身を精進する稽古にかえたのである。そして結果的に禊ぎによって更なる精進が出来るようになったのである。
禊には効能があると考える。だが、禊ぎはいろいろなモノを禊がなければならないことになる。また、禊ぎにはいろいろやるべき事があり、それをやらなければ禊にならないこともわかってくる。
まず、「合気道は禊である」で禊を考えると、合気道同様、禊にも目標がある。合気道は宇宙との一体化であるから、禊の目的も宇宙との一体化であるはずである。万有万物との一体化であるから、己の心体も禊で宇宙との一体化が必須ということになる。
万有万物との一体化を果たすためには、まず、万有万物と仲よくなる事である。仲良くなるためには、挨拶を交わし、感謝し、お願いをすればいい。心だけでなく息(イクムスビや水火)でやるのである。手の関節を伸ばしたり、屈伸などはこの挨拶と感謝とお願いでやらなければならないのである。
その前に禊で何をするのかである。大先生をはじめ、多くの武道家の達人名人は禊をされているが、その禊の様子は非公開であるので、禊の内容や密度等は他人にはよく分からない。当時はやるかやられるかの厳しい世界だったから仕方がない。
今は平和な時代なので隠す必要もないだろうから、私自身の毎朝の禊の内容を参考までに書くことにする。
私の禊は毎朝、2,3時間である。気分次第で長くなったり、短くなる。難しい研究課題があれば長くなる。