【第930回】 合気三昧から顕幽神界に遊ぶ

合気三昧で稽古をし、日常生活も合気三昧で送れるようになると己の合気道も日常生活も変わってくる。これまでの目に見えるモノではなく、目に見えないモノを評価し価値を置くようになる。つまり気持ちや心や精神がモノ、金、財、腕力、体力よりも重要視するようになる。勿論、モノ、金、力は必要であるが、それが土台になって、その上、表に気持ちや心や精神が現われるということである。合気道での魄が下でその上に魂が出るのと同じである。

これは合気道の修業の次元と日常生活が顕界から幽界、神界に入り、遊べるようになるということだろう。顕界に戻るのは現実世界に戻る事なので難しいことではない。難しいのは顕界を離れて幽神界に入る事である。幽神界に入れれば顕幽神界を出入りすることができることになる。それが出来たら素晴らしいだろう。しかしそのような事が人に出来るのかという事になる。

大先生は顕幽神界を出入りしているといわれていた。
幽界、神界の次元での稽古が少し出来るようになってくるとその可能性が実感できるようである。人は修業をすればそれが出来るようになるようだということである。顕幽神界を出入りした人はいる。例えば、呪術者の役行者、陰陽師の安倍晴明などが知られている。近年では出口王仁三郎大本教教祖、さらに植芝盛平合気道開祖もその名を知られている。つまり、人は顕幽神界を出入りできるという事である。それを合気道が教えてくれ、またその方法も教えているのである。『武産合気』『合気神髄』を読むと、修業している合気道家にそれを大先生が期待して話されたり、書かれていることが分かる。我々は大先生の期待を裏切らないように修業しなければならないだろう。

合気道は、宇宙の法則に則った技を身につけることによって宇宙との一体化を図ると長年修業してきた。小さな己が宇宙に成長するということである。宇宙の営み(宇宙の法則)の合気の技を身につける修業によって、宇宙を感じるようになり、宇宙との接触、そして一体化を実感するようになるわけである。合気道は宇宙と一体化出来る道であるという事である。言うなれば、宇宙に遊ぶということである。合気三昧である。

合気三昧である。それは顕幽神界であり、顕幽神界の出入りである。顕界から幽界、神界に遊び、行き来することである。顕界ではいろいろな物質的なしがらみがあって十分に楽しめないが、幽界、神界はモノに依存する必要がなく、心は自由になり、体もその自由な心に従うので、心も体も自由になるのだろう。故に、時間も次元も移動し、出入りすることが出来るのだろう。
勿論、顕幽神界の出入りは容易ではない。大先生は役行者も大変な修業をされて法力を身に着け、ご苦労様と云われている。そして役行者のような超人的な修業をしなくても合気道によってそれが出来ると次のように教えておられるのである。
「嘗っては役ノ行者の如く印形をもって、処理し法を修したけれど、すべての罪障を浄めるのにつとめられてご苦労様だけど、吾人は進んで今日の世界の浄めを、和合の合気道によってご奉公させて頂くのであります。」(武産合気 P.111)
これが次の合気三昧である。この合気三昧で技の稽古をし、日常生活を送るのである。

合気道は合気三昧になれば顕から幽神界でも合気三昧を楽しむ事が出来る、新たな体験が出来るという可能性があるということである。次元的な新たな体験ができるわけである。どんな素晴らしい体験ができるのかがお楽しみである。美しい天女さん達と遊べるかもしれない。合気道の修業だけでなく、日常生活でもそれが出来るはずである。顕界には無い摩訶不思議な体験になるはずである。これが更なる合気道の魅力であると考える。
 
合気三昧から顕幽神界に遊びたいものである。