【第928回】 80歳までは鼻たれ小僧

先日、最高齢で元気に合気道のご指導を続けておられる多田宏師範にお眼にかかった。御年94歳になられたという。月照寺の道場を中心に合気道の指導をされ、昨年も本部道場で3,4時間におよぶ講習会をご指導されるなど以前と変わらぬご健在ぶりである。また、今年は先生が創設されたイタリアのボローニア道場の60周年にあたるということで渡伊されるという。ますます頭が下がる。
先生はヨーロッパで長年、合気道を指導されており、多くの門人と指導者を育て、面倒をみてこられたが、その教え子たちがどんどん亡くなってしまう事に戸惑っておられるようだった。「なんで若いのに死んじゃうのかね」と。
後で多田先生のお弟子さんから聞いた所、道場では「80歳までは鼻たれ小僧だ」とよく言われているそうだ。我こそは合気道の達人だなど思っていた稽古人は驚いていることだろう。

実は、大先生も同じことを云われていたのである。「50,60は鼻たれ小僧じゃ」と。当時私は学生だったから多少鼻っ柱が強く、自分は一人前の大人であると思おうとしていた。しかし自分のやっている合気道の技を考えてみると、やはり鼻たれ小僧だなと観念したものである。自分はその「50,60は鼻たれ小僧じゃ」の言葉をなるほどと納得したが、周りの先輩やその時間を指導していた師範は複雑な気持ちだったようだ。当時は本部道場で60歳以上で教えておられた先生はおられなかったので、先生も含めて鼻たれ小僧だったわけである。

多田先生の80歳より若いのは鼻たれ小僧であるは、お先生の「50,60は鼻たれ小僧じゃ」と同じである。当時の50,60歳は今の80歳に相当するということである。平均寿命が延びたことと、それに人間の幼児化と生きる密度の薄化によると考える。

大先生の「50,60は鼻たれ小僧じゃ」を肝に銘じ合気道を修業し、生きて来た。50,60歳までは鼻たれ小僧でいいがその後は一人前にならなければならないということでもある。まずは合気道の鼻たれ小僧を脱したいと思った。
しかし60歳で鼻たれ小僧を脱することは出来ず、80歳を越えるようになってしまった。故に、多田先生の「80歳までは鼻たれ小僧だ」に該当することになった。80歳でようやく、それまで分からなかったことが分かり、出来なかった事が出来るようになってきたのである。
例えば、合気道で云えば、合気道の目指すモノ、つまり合気道の使命。その使命を果たすための方法・手段等。大乗の地上楽園建設の生成化育と小乗の宇宙との一体化。また、合気道の技の錬磨によって争わない社会、平和な世界をつくるのだが、何故、合気道の稽古で世の中に争いがなくのるかというと、確かに合気道を修業していくと悪いことをしようなどと思わなくなるのである。愛が生まれるのである。大先生の教えにあるのだが、これが分かったのは80歳だった。それより若くしてそれが分かるのは難しいだろう。勿論、80歳より若くして分かる人もいるだろう。それを天才とか秀才という。
因みに、気というモノが分かり、気を生み出し、つかえるようになったのも80歳頃である。ましてや魂が分かって、魂が働いてくれるようになるのは80歳を相当超えないと駄目だと思う。

宇宙の法則に則った合気道の技を身につけ、宇宙の一体化を目指すようになるのも80歳が目安である。それ以前はどうしても魄の稽古から抜けるのが難しいからである。
80歳ぐらいからようやく宇宙というモノが段々分かるようになり、それと並行して自分というものが分かってくるのである。大先生が教えておられる、宇宙と自分(人)は同じであることがわかってくるのである。
80歳になる前では難しいし、そもそも興味が湧かないだろう。また、こんな事が50,60で分かってしまったら、不自然で気持ちが悪い。
要は、80歳までは何もわかっていないし、そのわかっていないということもわかっていないということである。これが鼻たれ小僧ということなのである。これも80歳にならないとわからないのである

80歳からが本格的な合気道の稽古が出来るし、真に人間として、宇宙と共に生きる事ができるようになるわけである。
それなのに80歳前で死んでしまうのは惜しいし、残念であると考えるのである。多田先生もそれを嘆き、怒っておられるのだと拝察する。