【第918回】 顕界から幽界に生きる

合気道では、はじめは力に頼る魄の稽古をする。力がものいう物質優先、相手に勝とう負けまいとする競争意識が働き、相手を意識する相対的次元である。この魄の次元は目に見えるモノをもととする顕界である。
合気道を更に精進するためにはこの顕界の稽古から脱出して、次の次元の幽界に入らなければならないが、容易ではない。

しかし、顕界の次元から幽界の次元に入る事ができると、稽古が変わる。つまり技づかいが変わるだけでなく、生き方も変わる。考え方、モノの見方が変わるのである。顕界で見えるモノを見、それを追いかけていたのが、幽界で目では見えないモノを見るようにし、大事にするようになるのである。大先生は、見えるモノには関心が無く、家を建てて貰っても、名刀を贈られても受け取らなかったと言われるが、顕界にあった私の若い頃は、もったいないなと思ったが、今ではそれがよく分かる。

私個人もモノには興味がなくなってきた。衣食住、健康で生きていけるものがあればいいと思っている。豪邸、車、名刀、宝くじ等に興味はない。魄の稽古をしていた時とは大違いである。
目で見えるモノには興味が無くなって来るのに反し、目に見えないモノに関心を持つようになった。目に見えないモノとは何か。一番身近で分かりやすいのは「心」「精神」である。勿論、顕界でも心は働いている。しかし顕界の心は物質欲、名誉欲、他に負けまい・勝とうとする他との相対的な魄の心であると思う。
幽界の心は他と比較するような相対的なものではなく、己と比較し、己を精進する絶対的はものであると考える。この心が己を満足させるだけでなく、他、他人に感動も与えるのであると分かってきたのである。

心の感動を魂の揺さぶりというが、これまで『高齢者のための合気道』で多くの魂を揺さぶられた人を書いていたが、今思えば、その方々は幽界に生きていたということであろう。
合気道開祖が人を感動させるのは顕界の人ではなく、幽界、神界の人だったからである。
これまで魂を揺さぶられた人を論文に書いたが、一寸拾い上げても次のようである。棟方志向、東山魁夷、篠田桃紅、岸田劉生、室井摩耶子、熊谷守一、片岡球子、伊藤若冲、葛飾北斎、渋沢栄一、岡潔(数学者)、稲盛和夫、日野原重明(医者)、スティーヴン・ホーキング(理論物理学者)、ダフネ・セルフ(世界最高齢のスーパーモデル)等など。

何故、今回このようなテーマで論文を書きたくなったかというと、谷村新司さんのドキュメンタリーTVを見ていて、彼の生きざまに感動し、魂を揺さぶられたからである。彼は晩年幽界に生きていたはずです。顕界に生きていたらもっと儲けようとか、名を売ろうなどして、あのように感動を与えてくれる音楽は出来なかったはずである。
人に感動を与え、己も自身の魂の揺さぶりに感動できるのは、顕界から幽界に生きる事だと思う。