版画家の棟方志功のテレビ番組を見ていると「不易流行」という言葉が耳に残った。棟方志功の版画は不易流行であるというのである。棟方志功の版画はかねがね素晴らしいと思っていたが、その素晴らしさは何処から来るのか、また、何に惹きつけられるのか、何が引きつけるのかがはっきりしなかった。そしてこの不易流行という言葉がその謎を解いてくれたようなのである。
不易流行とは、“変わらないこと”“日々移ろっていくこと”の両面を表す言葉である。つまり「不易」は変わらないもの、「流行」は変わるもののことである。この不易流行は俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で見出した蕉風俳諧の理念の一つで、俳諧には不易(永遠に人を感動させるもの)と流行(その時代における新しさの先端を行くもの)とがあるという。そして良い俳句をつくるためには、まずは普遍的な俳句の基礎をしっかり学び、そして時代の変化に沿った新しさも追い求めなければならないという。そうしなければ、陳腐でツマラナイ句になってしまうというのである。
合気道ではこの「不易」に当たる言葉に「永遠不変」がある。いつまでも果てしなく続いて変わらない事という意味である。しかし合気道の「永遠不変」は他に類を見ないような厳しく、深い意味がある。 ただ変わらないというのではなく、今やっている事、やる事が未来も変わらないという事なのである。合気道の場合はこれを技で追及しているわけだが、今、現在の技が、未来でも何も変わらないということである。これを合気道では「現代を永遠の内に宿し、永遠を現代の内に宿す」という。従って、人は己の死後の未来を心配しているが、その必要はない。現代で未来に生きているわけだから、「死後の未来を希求することはない」というのである。
そのためには、勿論、修業が必要になる。どのような修業かと云うと、「一行一動、神誓神力を発揮して不窮の行為が、永遠不窮に受け保ちいくのである。」(合気神髄P.166)
後で分かってくるのだが、永遠不変の技とは神業であり、魂の働きである。魂の技、神業をつかえれば未来にも生きる事であり、過去も現在も未来の時間を超越し、更に場所や空間も超越する、所謂、宇宙と一体化した技・業ということになる。
合気道では「不易」に当たるのが「永遠不変」であるが、「流行」に当たる言葉がないようである。しかし、「流行」の重要さも次のように教えられている。