【第916回】 不思議だったことが解明されてくる

年を取ってきたせいか、昔不思議に思っていた事が少しずつ解明されてくる。お陰で、もう少し長生きしたいと思うようにもなる。

今回のそれは、子供のころ読んでいたマンガや剣豪小説で、塚原卜伝などの強い剣豪が見えない敵が襲ってきたり、待ち伏せしているのを察知し、その攻撃を制してしまうということである。塚原卜伝はそれを察知していたからこそ囲炉裏に掛かっていた鍋の蓋で相手が切りつけてくる刀を抑える事ができたはずである。

また、名人、達人たちは、敵が襲ってくるのを察知し、寝ていても目を覚ますとあった。自分など寝てしまえば誰が来ようが目を覚まさず眠り続けるから、それがどうしてか分からなかった。
どうして目で見えないモノが見えたのかである。

更に、合気道の稽古の時期に入っても不思議な体験をしたり、聞いたりした。
  1. 大先生の話である。かって千葉先生が内弟子であったころ、大先生から、隙を見つけたらいつでも木刀で打ち込んでこいと言われていたので、或る時、大先生が便所に入られたので、出て来られたら一撃しようと待ち構えていたのだが、大先生は一向に出て来られない。これは悟られたかと、千葉先生は自室に戻られ何食わぬ顔をしたという。千葉先生に直接聞いた話である。
  2. これと同じような体験を自身でもした。古い道場はガラス戸一つ隔てると洗面所とその隣が便所になっていた。大先生は時々その便所をお使いになり、その後、道場に顔をお出しになったりしていた。便所からお出になると手を洗い、手拭いで手を拭かれるが、その手拭いをお出しするのが我々若い稽古人の役割だった。或る時、私が稽古を中断して、大先生に手拭いを持ってお待ちしているのだが、大先生は一向に出て来られないのだ。もしかしたらここにいる私に邪心や殺気を感じ用心されているのかと思い、咳ばらいをしてみると大先生は何事もなかったかのようにすぐに出て来られたのである。咳ばらいを聞いて、これは大した奴ではないと思われたのだろう。
  3. 本部道場で毎週、水曜日の夕方教えて下さっていた有川定輝先生の話である。先生はいつも同じ人に受けを取らせていた。先生の投げや決めは時として強烈なので、よほど胆力と体力がなければ務まらない。
    その頃の受けはナイルさんが取っていたが、或る時、有川先生がまだ説明されているのに、ナイルさんが突然先生に手で勢いよく打ち込んでいったのである。あれっと思った瞬間には、有川先生はその手を見もしないで制し、そして投げ飛ばしていたのである。一瞬の出来事であった。こんなことが2,3回あったが、どうして見てもいないのに見えるのかが不思議だった。
最近、目には目で見えないモノを見る目、つまり第二の目があることが分かった。そしてこの第二の目は「ひびき」であることが分かってきた。「ひびき」とは波動である。自然科学の世界でもすべてのモノは波動を発しているという。聞いているモノだけでなく、見ているモノも目に見えないモノも波動であるというのである。波動を感じることが見えるということであると考える。
つまり、これまでの不思議を「ひびき」、波動で考えれば解明されるということである。