【第914回】 自分って何?

朝日新聞の「声」の欄に目を通していたら次の投稿が目に止まった。見出しは「自分って何? それが悩みです」。投稿者は13歳の女子中学生である。

「自分ってなんだろう」。そう考える自分がいる。最近の悩みだ。幼い頃は自分のことが分かっていると思っていたが、中学生になったら、なぜか分からなくなってしまった。私みたいに「自分って何だろう」と考えてしまう人はほかにもいるのだろうか。考えて当たり前なのだろうか。もしくは、そう考えてよいのだろうか。考えているうちに、時は流れてしまう。きっと自分のことが分からないまま大人になること、その未来が怖いのだ。自分だけが置いていかれてしまうのではないかと、自分で勝手に想像してしまう。友達からは『今、考えなくともいいんだよ』と言われるけれど、考えてしまう。考えたくない。でも知りたい。色々な自分のことを。自分がやりたいことや興味があるものを探していこうと思う。だからいろいろなことに挑戦し、少しずつ知っていきたい。」(朝日新聞 2023.10.12)

目に止まったのは「自分ってなんだろう」。「そう考える自分がいる」であった。「自分ってなんだろう」は、かって自分自身も中学生時代に考えたからであろう。今でもこれを真剣に考えている若者がいることにホットし、満足し、応援したいと思ったのである。
私の場合、「自分ってなんだろう」を考えるきっかけは、中学生時代に見た天空の多くの星であった。無数の星を見ていると、地球を含めた星の世界から見れば自分等あってもなくとも世の中の体制に少しも影響がない、ちっぽけな塵のようなモノではないかと思ったのである。
しかし、自分は塵のようにあまり意味のない存在ではないかとネガティブな日々が何日か続いた後、また、天空の無数の星を見ると「自分ってなんだろう」の考えが一変した。それは自分が存在しなければ、幾ら沢山の星があっても無くとも、自分には関係ないということを実感したのである。つまり、自分が一番大事であるという事である。

「自分ってなんだろう」の答えはこれでは不十分である。彼女の知りたいことは、自分は何故生まれてきて生きているのか。自分がわかるために何をすればいいのか等を知りたいはずである。しかし、これは学校でも家庭でも教えてくれない。友達だってわからない。どうすればわかるようになるのかが分からない。
私の場合は、「自分ってなんだろう」の答えを合気道の教えから見つけた。合気道では、肉体には精神(心)が備わっており、万有万物は地上天国・宇宙楽園建設への生成化育の使命を担っていると教えられている。この使命を遂行するために、人はそれぞれの使命をもって生きていくことになる。科学者、音楽家、医者、スポーツ選手、または子供を育てる、自然を保護するなどなどである。
「自分ってなんだろう」の自分は、宇宙、地球、万有万物が少しでも良くなるように働く人ということになるといってもいいだろう。人類、自然、地球、宇宙に貢献するということである。

次の「そう考える自分がいる」である。これは二人の自分がいるということである。現実の自分とその自分を見ているもう一人の自分である。これも通常では見つけにくい事である。
しかし、これも合気道を修業していくと分かってくるはずである。
合気道では相対で技を掛け合って精進していくが、技を掛けている自分とその技を掛けているのを監視しているもう一人の自分がいるのである。これを私は自分と真の自分と言っている。自分は個性があって、千差万別である一般的な自分と考えればいい。問題はもう一人の自分、真の自分である。合気道ではこの真の自分を宇宙創造主の御魂といい、魂であり神であるという。この魂である神が自分を見守っており、間違いがあれば、「これは不味いから直した方がいい」とか、「こうした方がいい」とか修正したり、褒めてくれたりするのである。その基準と目標は、前述の地上天国・宇宙楽園建設の生成化育にかなっているかどうかとなる。
「そう考える自分がいる」とは、自分と自分は何?と考えさせる自分の二人の自分がいるということだと考える。

この12歳の中学生は真剣に「自分って何?」を考え、これから追求していくという。真面目で自分に正直であり頼もしい。
本来なら、誰もが考え、悩む問題だと思うが、大抵は無視するか逃げてしまい、こんな悩みや問題など無いかのように生きている。しかし、その問題はいくら避けても、いつかどこかで必ず出てくるはずである。一度、向き合った方がいい。
合気道がこれらの問題を解決してくれるし、他の解決方は無いように思う。これから合気道の考え方が必要になり、普及するはずだと考える。合気道を学んでいる者はこのような合気道の素晴らしい考えを世の中に伝えていくようにしなければならない。これが合気道の修業の目的であり、合気道の使命であろう。