【第912回】 画家デイビット・コックニーと合気道

テレビをつけながら新聞を読んでいると興味のある言葉が耳に入ってきた。禊も終り、朝食も済ませ、のんびりするのが習慣となっている。新聞とテレビは世間の出来事を教えてくれるし、知らない事や知りたい事を教えてくれるので重宝している。だから、新聞の購読料もテレビの視聴料も喜んで払わせて貰っているし、料金を上げてもいいので少しでもいいモノを提供して欲しいと願っている

デイビット・コックニー
さて、耳に入ってきたテレビの話である。NHKの「日曜美術館」でイギリスの画家デイビット・コックニー(David Hockny,86才)(写真)の絵画の紹介と彼の紹介の番組である。

初めから真面目に聞いていたわけでないが、彼が言ったという二つの言葉が印象的だった。私が印象的とか感激するというのは、合気道との関係があるということである。
一つは、「人は人生の意味を求めている」である。この言葉は多くの人が言っているので、耳新しいことではないが、再認識し、噛みしめなければならないと思ったのである。
ここで「求めている」という意味は、求めているがわからない、難しいという事になるだろう。そしてコックニーは、彼や人の人生の意味を絵で表そうとしていることが分かる。

人生の意味については長年生きている事もあるし、合気道のお蔭で大分わかってきたと思う。合気道では宇宙天国・地上楽園建設の生成化育のお手伝いをすることであり、俗に言えば、人様、世間のお役に立つことである。
しかし、人の人生にはそれを構成する人生もある。学校生活、就労生活、老後生活(定年後生活)などである。つまり、学校生活の意味、就労生活の意味、老後生活の意味も求めていることになるわけである。学校や職場や老人(高齢者)が悩む最大の原因と解決策はそれぞれでの生活での意味が分からないであり、その意味を求める事が最大の解決策だと考える。
そして学校生活の意味、就労生活の意味、老後生活の意味が分かれば、人生の意味がわかりハッピーになるわけである。
私の場合は学校生活の意味を真面目に求めなかったので満足するものではなかったが、合気道のお蔭で就労生活・老後生活の意味を求める事ができたので満足である。また、引いては合気道のお蔭で人生の意味もわかったわけである。勿論、合気道の意味も求めなければならないし、求めたお陰で合気道も自分も分かって来たわけである。要はいろいろな人生の意味を求めれば最終的な人生の意味がわかるのではないかという事である。私の場合は合気道、コックニーの場合は絵を画く事である。

二つ目の言葉である。「空間認識」という。
絵は神や布のキャンバスに描かれるが、キャンバスは二次元の平面であり、描かれるものは立体的で時間や感情を備えている。コックニーは平面のキャンバスに如何に三次元、四次元のモノを描くことが出来るのかを追求するのである。これを「空間認識」というらしい。彼はこの「空間認識」の絵を描くことになるわけだが、それにヒントを与えたのがピカソの絵であったのである。

以前から、パブロ・ピカソの絵はよく分からなかった。色彩や三角四角などの幾何学模様などには興味があったが、眼鼻の位置や方向はメチャクチャで、何でこのような描き方をするのが理解出来なかったのである。
しかし、このピカソの絵がコックニーの「空間認識」のお蔭で理解できるようになったし、その素晴らしさがわかったのである。つまり、ピカソは二次元の平面に三次元・四次元の立体的で時間や感情を描き込んだのである。こっちから見た顔と横を見る顔、悲しい顔と睨んだ顔等々一つに描いているのである。

この空間認識は合気道でも必要であると再認識した。つまり、合気道は強いだけでは駄目だということである。強い弱いを二次元とするとこれを三次元四次元にしなければならないということになる。それが合気道の教えの「真善美」であり、「気育、知育、徳育、体育、常識の涵養」ということになるだろう。強いだけでは駄目で、技も人格も清く正しく美しくなければならないということである。