【第911回】 やりたい事、やり残した事をやる

日本の人口の10%が80歳となったとの報道が今朝あった。以前は人生50年などと云われたわけだから、長生きになったものである。己自身も80歳は数年超えているが生きているから、この10%の中に入っている。
人によって違うだろうが、80歳を過ぎてくると体力や筋力は衰え、意欲や欲望も無くなってきて、お迎えがくる事、近づいているのを実感するようになってくる。

しかし、まだ元気で生きているし、もう少し生きたいと思っている。お迎えが来る事が分かっているのだから、ドタバタしないで観念したらいいだろうとも思うが、どうもまだ観念出来ない。逆に、よーしまだしっかり生きてみようと思うのである。かえって今まで以上に頑張りたいと思うのである。しかもこれからお迎えが来る間に己が本当に生きることができるはずだと思うのである。つまり、お迎えが来るのがわかっているからこそ頑張るわけである。お迎えが来た時に、よくやったと自分が満足しなければならないと思うのである。言うなれば、これからが本当の人生ということになるはずだし、そうなるようにしなければならないと考えている。

これからの人生を本当の人生にするためには、これまでの生き方や考え方を変えなければならない。簡単に言えば、必要なモノ、必要な事に集中し、後は切り捨てる事である。不必要なモノを断っていくのである。有難いことに、年を取ってくるとあれやこれやという興味も欲望も無くなってくるのでこれは問題ないようだ。
大事な事に集中し、それに関係ない事は離していくのである。

大事な事とは、やりたい事であり、やり残している事である。私の場合は合気道ということになる。合気道にはいろいろ教えて貰ったがまだまだ不十分である。終わりがない事は重々承知しているが、少しでも多く教わりたいと思っている。これからも禊を続け、道場稽古に通い、また、人の話を聞き、書物を見るなどして精進していきたいと願っている。

勿論、合気道以外でもやりたい事であり、やり残している事はあるので、それにも挑戦していきたい。例えば、学生時代から不思議に思っていた和歌などの枕詞である。中学時代からこの枕詞の意味が不明であるとか、こじつけであるとわかるような解釈をしているようだが、今もよく分かっていないようである。
何とか枕詞がどのような意味なのかを知りたいと頭の片隅で思っていたわけであるが、ある本でその解釈がなされ、少し納得することができたのである。この解釈は学会では認められていなく、まだ一般的ではないが、私には前進であり、感謝している。例えば、「ぬばたまの月に向ひて霍公鳥ほととぎす鳴く音遥けし里遠みかも」(大伴家持)の「ぬばたま」である。「ぬばたま」は一般に「うばたま」という植物の種子の黒さから黒いものに掛かるとされているがしっくりしない。

この「ぬばたま」はタミル語から来ていると『日本語=タミル語接触言語説』(田中孝顕著 幻冬舎)はいう。タミル語のuvamtam(新月、満月)であり、故に、月、新月、満月に掛かるという訳である。これですっきっりした。
同書はこれまでの不明な枕詞や大和言葉などの日本語をタミル語で解読しており、非常に勉強になったし、これまでの私自身の疑問を解いてくれたわけである。
お蔭様でやり残しが一つ減ったことになる。

やりたい事、やり残した事はまだまだあるから、もう少し頑張らなければならない。健康にも気をつけてやっていく事にする。


参考文献 『日本語=タミル語接触言語説 − タミル語による記紀、万葉集の未詳語』(田中孝顕著 幻冬舎)