【第910回】 礼儀をつくせば応えてくれる

年を取ってくると若い頃とは、生き方や稽古の仕方などが変わってくる。変わるのは表面的なことだけではなく、内面的な事も変わってくる。若い頃は、体をつかうにも無意識で動いていたし、体はこちらの思うように動くものだと思っていた。合気道の稽古でも技を掛けるのも、動くのも、只、相手が倒れればいいとがむしゃらにやっていた。若い内はそうしか出来ないわけだから仕方がないが、年を取ってきたら若い時と同じようには出来ないからやり方を変えなければならないと考える。

まず、合気道の稽古のやり方を変えた。これまでの論文に書いてきたように、宇宙の営みを形にした技を錬磨している技の中に見つけ、その宇宙の営み・条理・法則を身につけ、宇宙と一体化する稽古に変わってきたことである。
このためには、天地宇宙に敬意を払い、感謝するようになった。そしてまた、その礼儀なくして天地も宇宙も何も教えてくれないがわかったのである。

次に、技を練るための体である。体も礼儀をつくせば応えてくれることがわかった。合気道の技は宇宙の法則に則っているわけだから非常に微妙で繊細なものである。そのために非常に微妙で繊細な体の働きが必要になる。頭では体の動きの良し悪しの判断は難しく、体自体が判断しなければならないのである。
体にしっかり働いてもらうためには、技を掛ける時だけでなく、普段から体に礼儀をつくさなければならない。体に親愛の情がなければ体は助けてくれないのである。
礼儀をつくすとは、「いつも働いてくれて有難う」の敬意と感謝である。この敬意と感謝は心の中だけではなく、物理的にも感謝するのである。それが禊ぎである。毎朝、お世話になっている体、それに目、鼻、口、耳を洗い、感謝し、いつも有難うございます、今日もよろしくとお願いすればいい。そこまでやれば体、目、鼻、口、耳は此奴のために今日も頑張ってやろうとなるはずである。

礼儀をリスペクトと言ってもいいだろう。今はこのリスペクトが見えない世界であるといわれているわけだが、先ずは自分自身の体、目、鼻、口、耳をリスペクトしなければならないだろう。
一般社会でもリスペクトがなければ上手く機能しない。リスペクトとは礼儀ということであるから、礼儀をつくし合える社会になればいいわけである。

礼儀をつくせば体も社会も応えてくれるということであるし、そうでなければ、何をやっても無駄になるということである。