【第909回】 合気道の素晴らしさを再認識

長年合気道をやってきたが、ようやく合気道のすばらしさ実感出来るようになってきた。これまで大先生のお話や教えから合気道は素晴らしいものだとは思っていたが、合気道の素晴らしさを肌で感じ、身体で感じることはなかったと思う。合気道は争わないとか力は要らない、他の武道やスポーツとは違うと教わってきたわけだが、実際には稽古中に争ってしまうこともあるし、力を込めてつかう事もある。ある意味では、他の武道やスポーツとあまり変わらないのではないかとさえ思っていた。勿論、宇宙の営みを形にした技を相手に掛けて、相手を制し、投げ抑えるのは気持ちがいいし、合気道はいいなとは思ってはいたが、いま一つはっきりしなかった。

しかしようやく、やはり合気道は素晴らしいと認識したのである。肌で感じ、身体で実感することができたことにより確認できたのである。
それは、合気道の技は力も早さも関係ないことがわかったことである。腕力をつかわず、そしてどんなにゆっくり動いても相手に技が掛かる事がわかったのである。これまでは力一杯で手、体を早い動きで技をつかっていたわけだが、力をつかわずに、そして速度に関係ない動きで技が掛かるということである。しかも、以前よりも強力で精錬された技になるのである。

現在は、物質文明であり、競争社会でありモノと力の社会である。合気道はこれを精神文明、非競争社会、心の社会にしなければならないとしている。
社会はモノを優先し、その為に競争が起こる。モノの獲得競争に勝つためには、極言すれば、力の強さと早さが重要となり幅を利かせている。スポーツの勝敗の基も如何に力があるかと、如何に早いかであると思う。社会もスポーツも上昇するなら力をつけ、早く動けるようにしなければならないことになる。

合気道では力(腕力)をつかわなくとも、また早く動かなくともいいのである。若者がどんなに力任せに素早く打ってきたり、掴んできても、ゆっくりと対処できるのである。相手をくっつけてしまい、力を抜いてしまい、そして一体化してしまうのである。対処する動きの速度には関係なく技は決まるのである。これを勝速日というのであろう。
早く動かなくともいい結果が出るという事は物質文明、競争社会のやり方に反している事になるわけである。合気道は物質文明の競争社会から反物質文明、非競争社会に変えなければならないと教えている。合気道は技を練って精進するので、それを技の錬磨で会得しなければならないことになる。

奇しくも、技をゆっくりつかえることになったことによって、合気道の技は早くつかわなくともいいということが実感でき、これまでやったり見てきたスポーツなどとは異なる事、また、今の物質文明社会とも異なる事、更に、合気道を修練していけばこの競争社会を変える事が出来るだろうと思ったのである。そして合気道の真の素晴らしさが実感できたのである。