【第907回】 高齢者を教えるのは難しい

合気道の道場仲間や海外の道場で技などを多少教えているが、年を取った人に教えるのは難しい。年を取ると呑み込みが遅いし、間違いをなかなか直さないし、自分のやり方から抜け出せないようになるからである。年を取った高齢者は長年生きいろいろな体験をし、また稽古を重ねてきていろいろなモノが積み重なり、そして固まっているので新しいものが入り難いのだろう。故に、間違いに気づき、正したり、方向転換が難しいのだろう。

目に見える形の稽古をしている魄の稽古の時期は高齢者を教えるのもそれほど難しくない。時間と忍耐を掛ければ教える事ができる。
問題は魄の稽古から魂の次元に入るため、そして入った稽古である。心や念や息や気や魂などの目に見えない世界での稽古では、高齢者に教えるのは難しいが、そもそも人に教えるのは難しいのである。

かって本部道場で教えておられた有川定輝先生は、「俺は弟子を取らない」と言われていた。当時、その意味がよく分からなかったが、今思えば、それは「俺は教えないよ」という意味だったと思う。そう考えると、有川先生の摩訶不思議な言動や振舞が理解できるのである。
有川先生は、本部道場の稽古では懇切丁寧な技の説明や技・体のつかい方の説明はなかった。技(形)を一、二回示して、「やってみなさい」というだけだった。

何故、有川先生は我々に技が上達するように教えて下さらなかったかということである。それは教えてもわからないと思われたからであると考える。また、稽古には他の先生の時間に出ている稽古人もいるし、稽古人のレベルに差があるから共通の教えなどないということではないかと思う。
それ故、先生は教えてもわからないから、各自私から技を盗んで覚えろということだったと思う。つまり、技は教えないが教えているぞということである。

その証拠がある。私は水曜日の有川先生の時間には極力出席するようにしていた。そして稽古時間が終わった後、食事をご一緒した。そこでいつも必ず先生は私に「今日の稽古はどうだった」と聞かれた。この意味が分からず、今日の技は難しかったですとか、今日は暑かったですね等、毎回、トンチンカンな答えをしていた。先生は「そうだね」というだけで、苦笑いされていた。それが10数年続いていた。
そして或る時「今日の稽古はどうだった」の意味がわかり、「今日の稽古は肘の稽古ですね」と答えたのである。その日の稽古は肘をつかって技を掛ける稽古ということがわかったのである。短い体操も肘の運動であり、呼吸法も肘をつかう稽古だったのである。先生は一寸びっくりされたようで、「今日の稽古はどうだった」の答えが出るとは思っていなかったようであったからである。先生は、「今日の稽古はどうだった」の答えは出せないだろうと思われ、それを楽しんでおられたように思う。
つまり、先生は教えてはいなかったが教えておられたわけである。直接の教えではなく、所謂、盗ませて学ぶ教えである。
この盗んで学ぶことも若者に比べると高齢者には難しい。私が先生の教えを盗む事ができたのは、大分年を取ってからであったが、今思えば最後のチャンスだったと思う。

有川先生は前述のように人に教えるのは難しいと考えられておられていたと思うが、若者には教えてもいい、教えておかなければならないと考えておられたようだ。先生が合気道を教えておられた大学の一つの合気道部に、「その内、知っている事をすべて君たちに教える」と言われたと聞く。
若者ならば教えればできるようになるだろうということであろう。しかし、先生はその前に亡くなってしまい残念である。

しかし、考えて見れば自分自身も高齢者である。ということは有川先生の技や合気道の教えを身につけるのは難しいという事になる。それでは若者と比べて劣るのかというと、そうも思っていない。何せ80数年生きて来たし、60年以上も稽古をしているわけだから、若者よりも多くの事を知っているし、いろいろな事が出来る。下手すればこれが教えを邪魔するかも知れないが、これを活かせばいい。例えば、「世の中はすべて自我と私欲の念を去れば自由になるのであります。」という合気道の教えを高齢者の私は知っている。自我と私欲の念を去って修業すれば、人からも天からも沢山学ぶ事ができるわけである。高齢者だからとあきらめるのではなく、高齢を誇りに思って学んでいけばいいだろう。これは若者にはまだ難しいはずである。合気道はある程度年を取らないと会得出来ないと思うからである。