【第906回】 厳しい顔にならないために

世間を眺めると、子供、若者、大人、高齢者、超高齢者などいろいろな人がいてその表情は違う。そこにいる事や生きている事を楽しんでいると分かる明るい表情の人がいるし、心配事や悩みがあるのか暗い表情の人もいる。
一般的に子供は明るい顔が多く、年を取ってくると厳しい顔の人が多いように見ている。厳しい顔とは暗い顔であり、光のない顔と見ている。人は明るい顔でいたいと思っているはずなのに残念である。

合気道の稽古をしていても、年を取ってくると厳しい顔になってくる人が目につくのが残念である。稽古を始めた頃とか、無欲で稽古をしている頃は顔も輝いているが、上級者になり先輩格になると顔が段々厳しくなってくるのである。
そこで、何故、高齢者や上級者が厳しい顔になるのか、そしてどうすれば明るい顔がつくれるかを合気道的に考えてみたいと思う。

まず、幼児や子供の顔は輝き、光があるとすると、大人も幼児や子供のように物事を考え、生きればいいことになる。勿論、大人はすべてを子供のようにできないが、出来る事を出来るようにすればいいということである。社会で日々戦っている大人は難しいだろうが、定年で仕事を辞め、競争社会から外にある高齢者、超高齢者には可能だと思う。
それでは何が子供の顔を輝かせているのかというと、合気道的に云えば、物資文明の競争社会に生きていない事である。損得や金銭・物へのこだわりや他者との競争や優劣に関心が無いことである。つまり、年寄りが子供に返ればいいということになるわけである。

高齢者が若い頃と同じように物資文明の競争社会に生き、損得や金銭・物へのこだわりや他者との競争や優劣にこだわっていれば、光は失われ厳しい顔になるということである。モノやお金は自分がつかう最低限あればいいし、終活を考えなければならないのに、モノやお金を貰ったとしてもそれほど嬉しくはないはずである。それよりも親切にしてもらうとか、気をつかってもらう心に感銘するものである。精神文明での結びの社会、愛の社会で生きる事である。そうすれば顔は厳しきなくなるはずである。
合気道でも他人との競争・優劣ではなく、自分との戦いをすることである。自分に勝ったときは何よりも嬉しいものである。顔つきが変わってくるはずである。

厳しい顔の典型はしかめっ面である。その反対がにこにこ顔である。しかめっ面の顔もにこにこ顔も精神的なものだが、合気道の教えで物理的に変える事が出来るかもしれない。つまり、出来る人がいるかもしれないという事である。
どうするかというと、人やモノは目で見るわけだが、顔の前面の物質的な目で見るのではなく、頭の後ろから見るのである。合気道的には陰の目で見ないで、陽の目でみるということである。合気道では顔面側、胸腹側が陰で、後頭部、背中、腰側が陽である。
陽の目で見ると、人の心や気持ちが見えるし、草花や虫の気持ちが見え、愛が生まれ、同じ仲間・家族であると感じるようになる。
また、大先生がよく太陽をじっと見たといわれたが、私も見ている。勿論、陽の目で見るのである。もし陰の目で見れば目を傷めるはずである。陽の目でお日様と対話をし、お願いや感謝をしているのである。

陽の目で人を見、モノを見るようにするといい。心が見えるし、厳しい顔にならないはずである。