【第903回】 合気道家として生きる

これまで長年にわたって合気道を稽古してきた。お陰で、道場の稽古では大抵の相手に技をつかえば納得させることができるようになってきた。
合気道を稽古している人たちに対して、合気道とは何か、稽古の目標は何か、そのためにどのように体と技をつかわなければならないのか等を示したり、説明することはできるようになった。そしてますます合気道にはまり込んで行っている。

年を取ったこともあるだろうが、貴方は何者ですか、何をやっていますかと聞かれれば合気道家ですと答えられるようになってきた。定年後、仕事を離れ、組織にも所属しないから、自分が何者かを伝えようとすれば、一般的には名前ぐらいとなる。他人は名前など興味ないからコンタクトはそれで終わりで、その出会いは双方にとってあまり有意義ではない。故に、サラリー時代でもそうだが、定年後高齢になっても自分にとっても、また、相手にとっても興味のある人でありたいと以前から考えていた。例えば、私は音楽家(バイオリニスト、ピアニスト、歌手等)、科学者、発明家、芸術家(画家、書道家、生け花等)、登山家、探検家等などであれば、それを知った人は興味が起こるし、生きる素晴らしさを実感し、勇気が貰えるだろう。また、自分自身も生きている張り合いを感じるはずである。

私は「合気道家です」と云えるようにしたいと考えている。若い頃から、合気道をやっていますとは言っていたが、合気道家ですとは言えなかった。何故言えなかったのかを考えて見ると、合気道をよく分かっていなかったからである。技が出来なかったことだけではなく、合気道がどんなものなのか分かっていなかった事が分かっていたということである。外国に行った時、合気道をやっていると自慢げに云うと、合気道とはどんなものですかと必ず聞かれたが、満足に答えられなかったのである。これはつい最近までのことである。

先日、作家の森村誠一さんが亡くなったが、「作家は作品を書いている間だけプロで、書かなくなったとき、また、書けなくなったときは、すでに作家ではない」と作家について語っている。
これを合気道家に当てはめれば、「合気道家は合気道の稽古・修業をしている間だけ合気道家で、稽古・修業をしなくなったとき、また稽古・修業ができなくなったときは合気道家ではない」ということである。まさしく同感である。
これからも合気道家であるためには合気道の稽古・修業を続けなければならないということになる。稽古をしなくなり、できなくなったら合気道家の称号を返上し、只の人になるだけである。

後どのぐらい合気道家の称号を維持できるかわからないが、いずれお返ししなければならないことは確かである。なるべく合気道家の称号を維持できるように努めなければならない事になる。
高齢になれば若い頃のように何もかもは出来ない。必要な事に集中し、無関係な事は捨てていかなければならないだろう。例えば、食事である。三食、必要十分量と質を取るよう気をつかわなければならない。豪華な食事とか、一流店などは無関係な事である。食べる事は技の稽古と同じぐらい重視し、気をつかっている。言うなれば、衣食住は武道家のためということになる。
逆に、無関係な事、つまり武道家に不必要な事は捨てていくことになる。例えば、合気道の稽古を止めた友人や知人には興味がない。合気道家以外には興味が持てなくなってくるのである。恐らく、会って話をしても話が咬み合わないだろうし、合気道家としての建設的な話にならないからである。勿論、合気道家にとって興味のある方やモノは無限にある。その出会いは逃がさないよう、大切にしたい。
お迎えが来た時、「合気道家として生きた」と満足して逝きたいものである。


参考文献 「天声人語」(2023.7.26)