【第902回】 ようやく合気三昧に

合気道を始めてから60年以上になる。無我夢中で稽古をしてきた。しかし仕事の関係などで思うようには稽古が出来なかったので、いつも稽古が好きに出来ればいいのにと思っていた。
今は傘寿を越し、時間も自由につかえるようになった。好きなことを好きなようにできるようになったわけである。合気道の稽古もいくらでも出来るし、好きなように出来るのである。
しかし、ちょっと前まではそうではなかった。好きなように出来なかったし、やろうと思わなかったのであるのである。その理由は健康と合気道の無理解・無知であったと思える。歩いていて頻繁につまずくとか、歩く事もままならないぐらいに足腰が弱ってしまっていたのである。また、合気道のすばらしさや面白さが十分に分かっていなかったことで、合気を真から楽しめなかったのである。しかし、その最大の理由はどのように稽古をしていけばいいのか分からなかった事である。稽古の目標とやり方がわからなかったのである。勿論、週3日の道場稽古を休みなく通っていた。

最近、ようやく合気三昧になってきた。長年望んでいた合気三昧に入った わけである。これは合気道を始めた頃からの希望でもあるので満足である。
私の合気三昧とは、合気道の稽古を楽しむだけでなく、

合気三昧は朝の目覚めから始まる。目覚めて起き上がるまでの約30分、1時間の顕界と幽界の間のボーっとした状態でいろいろな考えや思いつきや閃きを楽しんでいる。日中の現実世界・現界・顕界では出て来ない。日中は現界で物質的・物理的なことしか出て来ず、目に見えないモノは出て来ない。

また、3食の食事も合気のためとり、つまり、合気の稽古ができるよう、精進するために食べるということである。喩え、食欲がないとか、食べなくともいいと思っても取るのである。散歩も合気に結び付けながらやる。手や足など体のつかい方を研究しながら歩くのである。歩く事が基本であることを散歩は教えてくれたわけである。風呂も合気の技を考えながら入る。浮く手から魄が下になり魂が上・表になることは風呂が教えてくれた。等々すべての生活を合気と結びつけ、楽しむようになったのでいる。本も読むが、合気道精進になる本しか興味がない。
更に、寝る際も合気の事を考えれば楽しいし、夢でも楽しめる。合気三昧である。ようやく合気三昧の境地に入れたようだ。これからますます合気三昧で楽しもうと思っている。